黒川博行「左手首 (新潮文庫)」

mike-cat2005-04-07



前日の「さくら」からの口直しを期待、である。
人工甘味料化学調味料で作った料理を食べた後、
みたいなもんだから、クセの強い料理が必要だった。


「疫病神」「国境」に連なるような、ノワール短編集だ。
「文福茶釜」でも見られた、さまざまな〝手口〟が、次々と飛び出す。
最近の物騒なご時世もあって、
小説の世界の出来事までも、
どこかで読んだことあるような気がするのは、
とても複雑な感触はあったりもするんだが、
かつて「ナニワ金融道」を初めて読んだ時みたいな、
アクの強さを、この作家は常に提供してくれる。


もちろん、もの足りない面もある。
ちょっとあっさりし過ぎているのだ。
主人公たちは、小悪党たちだ。それも、新聞のベタ記事程度の小悪党。
たいしたバックボーンもなく、非常に動物的に犯罪に手をそめる。
だから、読んでいて週刊新潮「黒い報告書」みたいでもある。
ああ、そういえば新潮社の本だった。じゃあ、当然?か…
そう、あの「 疫病神 (新潮文庫)」「国境 (講談社文庫)」で異彩を放った、
コテコテ関西ヤクザ・桑原みたいなキャラクターや、
あの独特のコメディっぽい感覚がそぎ落とされた分、
犯罪小説としての鋭さこそ感じるのは確かだ。
だが、こと〝エンタテイメント性〟という意味では、だいぶ落ちるのだ。


たとえば、表題作「左手首」は、言葉が示す通り、
死体の始末のディテイルが、なかなかねちっこく描かれる。
しかし、桐野夏生OUT(アウト)」みたいな、迫力はない。
ちょっと、理科の実験的、空恐ろしさはあるんだけど、
僕には何となくもの足りなかったりするのだ。
いや、十分気持ち悪いのだけど、それ以上はない。
もっと、もっとねちっこく描くと、別の小説になっちゃうんでしかたないんだけど。


むしろ、この小説を読んでいて思うのは、
つくづく、オカネ稼ぐことの大変さだ。俗にいう、シノギ
「内会」での、事故車、盗難車の売りさばき。
「淡雪」での、産廃がらみの〝事業〟は、「疫病神」でもおなじみだ。
で、「帳尻」では、ホスト稼業、「解体」では損保業界がらみのあれこれ…
もちろん「悪銭身に付かず」を基調に置く作者だから、
実際以上に大変に描いている部分はあるのだろうけど、
なるほど、楽なシノギってのは、なかなかないものだ、と納得する。
しがない月給取り(これも死語の世界で…)は、
なるべくして〝しがない〟月給取りになっている、というのがよくわかる。
だって、こんなに知恵(ワル知恵ともいうが…)しぼって、仕事しないもの。
頭を使い、リスクを冒して、
金もうけに走るひとびとのバイタリティには、ホントかなわない。
誤解を恐れず書くなら、詐欺とかだって、すごく大変だと思うし。


まあ、こういう小説を読んで何より思うことは、
ここに出てくる被害者みたいにならないぞ、ということ。
宗右衛門町だの、千日前通りだの、アメリカ村だの…
小説の舞台がじぶんの家の間近ということもあって、
そこらへんの身につまされる感覚は、大阪暮らしのいま、ならでは。
そうか、うちのご近所の人々は…
と、勝手な想像をめぐらせ、きょうも家路に着く。
「あれ、あの人も?」とか、ヘンな楽しみを覚える自分の悪趣味さに、
われながらちょっと閉口してみたりもするのだった。