西加奈子「さくら」

mike-cat2005-04-06



ちなみに、今回は批判三昧だから、
この本のファンの人は、読まないか、覚悟して読むか、のどちらかで。


いや、全然読む気なかった。
だって、書店のPOPが「セカチュー、イマアイの次はこれ!!」
どう見ても、〝本を読まない人〟向けの本にしか思えない。
そりゃ「いま、会いにゆきます」は確かによかったと思う。
セカチューは、パラパラ見てどうしても虫酸が走ったけど、
本の価値そのものをどうこういう気はない。
ただ、過剰に売れ過ぎなんじゃない? とは思うし、
あれぐらいしか読んでない人が普遍的な意味で「一番面白い本」とか
言っているのを聞くと、許せない気持ちにはなるが…


話がわき道にそれたが、そう「さくら」だ。
セカチュー、イマアイが当たった小学館が、
調子に乗って出しているのが、あまりにも見え透いたキャンペーン本に思える。
いや、もちろん、出版社が手持ちのいい小説を、
大々的に売り出すことに文句をつけてるんじゃない。
この本から匂うのは、
あまりに売らんかな的にマスプロダクツされた、商品臭だ。
いや、本は間違いなく商品なんだが、あまりに露骨なのだ。
それは書店での並べ方を見ても同じ。
セカチューで強めた〝書店への影響力〟をフルに駆使して、
新刊の本棚を占領する、圧倒的な平積み面積。
「ちょっとやり過ぎじゃない?
そんな感じがして、むしろ忌避してきたのだった。


じゃあ、なんで読んだのか。
だって、「本の雑誌」とか、そこら中でけっこう評価が高かったのだ。
Web上でも、けっこう本を読む人が「よかった」と言っていたようだったし。
と、長い長い言い訳を書き終え、もう疲れてしまったかも…


で、結局どうだったんだ、ということになると、まことに微妙。
別に読まなくてもよかったな、というのが正直なところ。
むしろ、不安を感じていたマスプロダクツ感、というか、
作者の過剰な文学的意図だか何だかが鼻について、
ほとんど、といっていいほど乗ることができなかった。


そう、作者や、編集者のこんな声が聞こえてきそうなのだ。
「こうやって書いたら、それっぽいかも」とか、
「この要素を入れてもらわないと、売れ線にならない」とか、だ。
何だか、「少年ジャンプ」の
「友情、努力、何とかの3大要素を必ず入れろ」みたいな、
作者のオリジナリティの否定、みたいな部分がぷんぷん匂ってきた。
もちろん、あくまで僕の想像ではあるんだけど。


たとえば、序盤でのこと。
子供のころ、字を左右間違えて書くクセがあった、というエピソードの紹介だ。
〝僕〟は、その後二十歳にもなっても「短」の「矢」と「豆」をいつも取り違える。
だから、コーヒーが飲みたい時でも、迷って緑茶を買ってしまうらしい…
そんなの、いかにもブンガクっぽいけど、何だかリアルじゃない。
第一、子供のころの思い出を語っているのに、
視点が明らかにおとなだ。
それはボキャブラリーにとどまらず、
複雑な思考経路に至るまで、単に後付けで脚色したような記憶が、
当時の原記憶として語られるのには、違和感を禁じ得ない。


それは、作者の経験や伝聞、自然な創造からわき出た、というより、
〝それらしく〟本を仕上げよう、という意図に導かれた作為に感じる。
誰かが書いていたのは〝ホテル・ニューハンプシャーの模倣〟。
そう、あのアーヴィングの名作を、愛するがゆえのオマージュとは違う、
〝それらしい〟小説に仕立て上げるための、手段としての模倣に思える。


アーヴィングの登場人物も非常にヘンだが、
あの世界の中では、きちんと説明のつくヘンさだ。
でも「さくら」では、〝わざと〟ヘンに描いた分、論理の一貫性がない。
だから、登場人物たちの感情描写を始めとする、さまざまな場面描写、
そう、犬のさくらが見せるさまざまな仕種ですらも、伝わってこない。
もちろん、この本に対する疑念いう、バイアスを払拭できないまま読み始めてるから、
決して100%フェアな評価ではないと思う。
思うけど、きちんと読もうと努力はしたのだ。
涙腺緩めて、泣こうとしていたのだ。
でも、やっぱり感情移入できなかった理由は、
「ここでこういう感情が出てくるのって、なんかヘンじゃない?」
という、稚拙な表現があまりにも多いからに、ほかならない。


終盤で明かされる(という感じに書いてある…)、
家族の秘密みたいなのも、「えっ、それって最初から公然の事実じゃ?」と、
驚くしかないような、見え見えの秘密。秘密って書くのもイヤだよ。
もちろん、最後のまとめ方も、強引なものにしか感じられない。
「あれがこうなって、こうなったから…、はあ?」という感じ。
結局読んでいる間中、常に違和感を感じ続けた。
たぶん、セカチュー読んでも、ここまでの違和感は感じないと思う。
これが二番せんじ、ならではの、〝作り物〝感なんだろう。


読み終えて、嫌な感じが残る。
「こういう本ばかりが書店を席巻したら、どうしよう…」
出版業界全体のためには、こういう「売れる本」も大事なのかもしれない。
でも、〝売れる〟を追求し続けた時、どうなるのか。
日本中がTSUTAYAみたいな、
まがい物の〝本屋もどき〟だらけになってしまいそうで、空恐ろしい。
ちょっと悪口書き過ぎた気もするが、
どうしてもそんな感触がぬぐえなかった。
ううむ、ホント複雑だ…