ジョン・スコット・シェパード「ヘンリーの悪行リスト (新潮文庫)」

mike-cat2005-04-08



このタイトル、どうよ…、と思っていたら、
原題〝HENRY'S LIST OF WRONG〟の直訳だった。
カバー写真も何となく、ノワール感醸し出してたんで、
すっかり、「アメリカン・サイコ」みたいな、
エリート・ビジネスマンの非情の所業の数々、を描いた小説だと思ってた。
まあ、あれは広義のコメディだったりするんだが。
しかし、どうも違うらしい、と聞いて読んでみる。
結論。全然、違うじゃん! って勝手に勘違いしただけなんだが…


主役は、冷徹な企業買収を次々とやってのける、
カーライルグループの若き次期社長、ヘンリー・チェイス
〝暗殺者〟の異名を持つヘンリーは、人を蹴落とし、頂点を目指すオトコ。
ハゲタカのように企業を買いあさり、売り飛ばす。
次々と人妻をたらし込み、捨て去る。
人妻にこだわる理由は、結婚を迫られないから、というだけ。
まあ、ウォール・ストリートに腐るほどいるような、
投資屋のもっともすごいやつ、というトコだ。
もちろん、人間性には非情に問題があるんだが。


こんなオトコに誰がしたのか、というと、
高校時代のガールフレンド、エリザベスだったりする。
プロムの後の、手痛い失恋が、朴訥なヘンリーを人非人に変えたのだ。
だが、ホテル買収のため、故郷に立ち寄ったヘンリーは、
エリザベスの妹から、ある手紙を受け取る。
それは、心臓病で死期が近いと悟ったエリザベスが、かつて書いた手紙。
ヘンリーを悲しませないため、あえて冷たく突き放した、という告白だった。


エリザベスを見返すためだったのに…
築いてきたすべての地位、財産が虚しくなったヘンリーに、
部屋に闖入してきたホテルのメイド、ソフィーがささやく。
かつて騙し、利用し、蹴落としてきた、
過去の所業を贖罪すれば、あなたは救われる。
かくしてヘンリーは〝悪行リスト〟を手に、ソフィーと贖罪の旅に出る。


このそそるプロットを、シンプルに描いていくだけでも、
けっこういい小説になっていくとも思うが、
「ヘンリーの悪行リスト」は、それだけでは満足しない。
セラピストまがいにヘンリーを口説く、ソフィーの抱える秘密。
そのソフィーとの会話も軽妙な感じで、テンポがいい。
下手をすると、クサくなりがちな癒やしの物語を、
いい感じでエンタテイメントにまとめ上げている。


だが、この小説の何よりもの味わいは、
ディテイル描写にこそある、といっても過言ではない。
ヘンリーと僕がほぼ同年代というのもあるけど、
非常にいい感じで、雰囲気が伝わってくるのだ。
たとえば、ヘンリーの故郷は中西部カンザスの田舎町。
アメリカ大陸の中心部、といえば聞こえがいいが、
要するに、アメリカのど田舎中のど田舎のひとつだ。
〝頑固で保守的な労働者の住む平屋が建ちならぶカンザス州オーリン・フォールズは、
 ブルース・スプリングスティーンの曲に出てくる町から
 ロマンティックな要素をすべて剥ぎとったようなところだった。
 広さは十二キロ四方しかなく、
 レーガン大統領時代のおこぼれにすらあずかれなかった住人たちは、
 畑すらない田舎町から二十分もよぶんに時間をかけて通勤しなくてはならなかった。〟


デトロイトとかみたいに、
かつて栄えて、いまはさびれた、とかいうレベルと全く違う。
もとからさびれきったような土地だ。
だから、〝ショッピングモールにならんだ店は、
 どれもすでにつぶれたか、つぶれるべく運命づけられていた。〟
そんな土地に新たに流入してきた富裕層の娘が、エリザベスだ。
チューダー様式の邸宅とかに住んでいる、深層の令嬢。
病床の父を抱える貧乏所帯のヘンリーとは、すべてが違う。
〝エリザベス・ウェアリングが占めている位置は、
 マドンナよりはわずかに下だが、ヘザー・ロックリアとならばほぼ互角、
 オーリン・フォールズ高校の非公認マスターベーション・ランキングでは、
 なみいる女の子たちを押しのけて断トツの第一位、といったところだった。〟


ランキングどうこう、は置いといても、非常にわかりやすい。
ちなみに92年だから、
ヘザー・ロックリアは「パトカー・アダム30」を経て「メルローズ・プレイス」のころ。
マドンナは「ディック・トレーシー」とかより、すこし後ぐらいか。
ちなみに、このランキング1位は、やっぱりありがた迷惑なんだろうな。
しかし、突き詰めればグラビアアイドルとかは、これだしな…
まあ、それはともかく、
そのくらいの憧れの〝あのコ〟が振り向いてくれて、
気分が上りつめたところで、一気に落とされたのなら、
なるほど「そりゃ、恨むだろうね…」と。
で、その瞬間、〝むかしの〟ヘンリーは死ぬ。
〝歴史的な正確さを期すためにいっておけば、
 ヘンリー・チェイスが死んだのはこの瞬間―
 一九九二年六月十五日、午前〇時〇二分だった。〟


その後、ヘンリーは大きく変容する。
で、いまの〝暗殺者〟ヘンリーは、
公園でキャッチボールする九歳くらいの少年を見かける。
キャッチボールの下手な少年は、見るからに落ち込んでいる。
母親の励ましもどこか信じられず、たたずむ少年にヘンリーがささやく。
〝もしわたしの耳がおまえみたいにでかくて、
 腕もガリガリで、身体中に醜い斑点が浮いていたら、
 近所のどんなやつよりキャッチボールがうまくなるように、
 死ぬほど努力するだろうよ。キャッチボールだけじゃない。
 足の速さでも、ジャンプやタックルでも、
 唾飛ばしや口喧嘩でも、誰にも負けないようにな〟


唇をひくつかせる少年に、こう畳み込む。
〝同情を引こうとしても無駄だ。
 そんな顔をしたくらいで同情してくれるのは、おまえのママくらいなもんだよ、坊や〟
きゃあ、ひどい。
言ってることはいちいち真理なんだが、よけいなお世話だよ。
まあ、こういう真理を覆い被して、
ひとはみな平等だの、誰にでも可能性があるだの、
建前だけを吹き込むよりは、よっぽど親切かも知れないが…


まあ、序盤だけでもこんな感じに引用したくなる描写が盛りだくさん。
このテイストが、ハイライトでもある贖罪の旅にも引き継がれていくから、
読んでいく方のテンポも、自然といい感じに盛り上がっていく。
贖罪そのものに関して、
「それでいいわけ?」とかいう甘さは残るんだが、
ディテイルがきっちりと描けている分、「ま、それもありかな」という気にさせる。
そんなわけで、そこそこのボリュームも、一気に読ませる力はあるこの小説。
ちょっと変わった気分が味わいたいとき、ぜひにお勧めしたい一冊だ。


ただ、問題はある。
読者自身の〝悪行リスト〟はどうなるの? というトコだ。
僕自身は蹴落とすような力もないし、第一いまの時点で〝高み〟にいないので、
たいしたリストはできないけど、「何もない」というほど精錬潔癖じゃない。
本気で考え始めると、ちょっと困ったコトになってしまう。
自分自身の問題に省みず、
なおかつヘンリーの贖罪には気持ちをシンクロさせるのは、意外に難しい作業だった。
しかし、また読み終えてまた、同じ想いがムクムクと頭をもたげる。
「ああ、あの時の…」。危険になってきたので、この辺で…