スタニスワフ・レム「ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)」

mike-cat2005-03-15



あの名作「ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)」の新訳版。
やっぱり読みやすい。
それは「ソラリスの陽のもとに」がロシア語訳をもとにした、
二次訳(こういう言い方があるのかはしらないが)だから、とかいう高尚なレベルでなく、
ただ単に、日本語の文章が今っぽいだけ。
あらためて、〝古典の新訳〟のありがたさが身に染みる。
ハヤカワ文庫判は、けっこう苦心したもので…


僕的には、ソラリスとのファースト・コンタクトはタルコフスキー版「惑星ソラリス」だ。
渋谷のシアター・イメージフォーラムでのリバイバル
とても哲学的で、「もし、自分の深層心理が形に示されたら」という部分に
かなり考えさせられるモノがあったのだが、
一方では、壮絶な眠気との戦いを強いられた。
かなり体調はよかったんだが、あの映画の独特のペースには苦しめられた。
もちろん、それが味わいだとは思うんだが、やっぱりトロい…


しかし、とても感銘は受けたので、帰路、ハヤカワ文庫判を即買いして読んだ。
これがまた輪をかけて難解だったことは覚えてる。
タルコフスキーのはけっこう叙情派っぽいイメージもあったが、
実はすんごく硬派のSFなんだ、と打ちのめされた。
それはそれで、また楽しかったんだが、
途中の細かい描写はけっこう読み飛ばしていたかも。


で、ソダーバーグ版の「ソラリス」だ。
ジョージ・クルーニー主演のやつ。
あんまり評判はよろしくないようだが、これはこれで僕は好き。
ハリーの配役がナターシャ・マケルホーンというのがなかなか微妙だったが、
ハリーとのロマンスにテーマを絞り、サスペンスの味付けを加えた感じだった。
もちろん、ソラリスの硬派なファンには許せないんだろうが、
心理学から宗教学まで内包した思考と哲学と、想像科学の追求などなど、
あまりにもスケールが大きく、そして多彩な面を持った小説なんだから、
エンタテイメントの切り口で、材料を絞り込むのもアリじゃないかと。
まあ、映画の出来そのものが、ソダーバーグにしてはちょっと…、
の面もあったので、あんまり擁護はしないでおく。


そして今回、新訳版「ソラリス」にいたる。
しかし、もうすでに旧訳版(こう書くと聖書みたいだな…)の細かい内容は、
ほとんど忘れているので、まあ別の本を読むくらいのつもりではあった。
しかし、あらためて思うのだが、この本はやっぱりすごい。
何をいまさら、というのは百も承知だ。
いまさらこの名作を語ることの、無謀ぶりはわかっているんだが、
何がすごいと思うかって、時間の設定だ。
ソラリスを発見したころ、じゃなく、
もう、ソラリスへの研究が下火になり始めたころ、というのところだ。
ソラリス学はもう、入門書までもが、
ホコリをかぶっているような、段階まで達している。
だから、科学者たちの探求はあんまり前向きとはいえない。
そこには、希望があまり感じられないのが、
物語に何ともいえないリアリズムを提供しているんじゃないかな、と。


そして、深層心理から一番強烈な感情を読み取る海、という設定。
悪意とか、善意とかは関係なく、無機質に読み取られるところが恐ろしい。
その部分の発想を拝借した、と思われる、
マイケル・クライトンの小説で「スフィア」というのがあった。
あれはその感情を、よりわかりやすい形で具体化させていたが、
この「ソラリス」では、とても複雑な形で、深層心理が具現化する。
主人公クリスにとっては、
感情のもつれから自殺に追い込んでしまった妻、ハリーだったりするのだが、
自分ならいったい何が出てくるのか。
こころの底に押し込めていたトラウマが、
いきなり形となって現れるのだから、もう怖いとかいうレベルじゃない。
もとの出来事が、こころの奥底で増幅されているんだから。
同僚の科学者スナウトの言葉が、突き刺さる。
「すでに起こったことは恐ろしいかもしれないが、
 一番恐ろしいことはじつは………起こらなかったことだ。
 決して起こらないことだ」。ひぃ…


で、ここでけっこう感心するのが、
この人間の記憶をもとにソラリスが作り出す〝お客さん〟の出来の細かさだ。
科学者の記憶をもとにしているから、
人体の構成だとか、そこらへんはとても精巧なのに、
洋服は切らないと脱ぐことができない、一枚布だったりする。
これ、あくまで科学者の記憶だからこうなんで、
僕のような記憶がスカスカな人間の脳から情報を取り出して、
〝お客さん〟を作ったら、かなりとんでもないことになるのでは…
もちろん、僕にとっては〝記憶通り〟には作られるんだろうが、
何せもとの記憶があやふやでは、
具現化されたモノも、だいぶいいかげんなことになりそうだ。


まあ、そういうまったく哲学的じゃないことを考えながら、読み進めた。
アイデンティティに悩む〝お客さん〟のハリーの心理とか、
あらためて感心させられるぐらい、複雑な心理描写になっていると思う。
そして、状況に対処できないクリスに対し、スナウトから投げかけられる言葉。
「よく考えてみてくれ、いったい全体、きみはどんな人間なんだ?
 誰を幸せにして、誰を救いたいんだ? 自分をか? それとも彼女?
 どっちの彼女だ? 今のか、それとも昔のか?……
 ここにあるのは、モラルを越えた状況なんだ」。
まあ、SFならではの、ある仮定のもとでの真理の追求だ。
考え出したら、きりがないんだが、
やはりこうした形で投げかけられると、いろいろ悩んでしまう。


読み終わって、タルコフスキー版との違いについても考えてみる。
解説を読むと、どうもレムはタルコフスキー版に不満だったようだが、
百人百様の解釈があってもいいんじゃないだろうか。
そういう、読んだ人が読んだ人なりの解釈で、
さまざまな思考をめぐらしたりできることも、名作の条件のひとつの気がするし。
じゃあ、自分の解釈は、と思うとこれがまだまだ、未整理状態。
たぶん、まとめきれないだろうとも思う。
しかし、そのカオス状態もまた楽しい。
もう一回、読んでみようかな、という意欲をかき立てられるような気がするから。