黒川博行「文福茶釜 (文春文庫)」

mike-cat2005-03-14



古美術の世界を舞台にした、騙し騙されのコン・ゲーム。
黒川博行らしい、詳細なリサーチが存分に活かされている。
〝きれいごとじゃない〟とかいう表現では、もの足りない。
ありとあらゆる汚い手口の応酬。
もう、モラルとかは置いておいて、素直に楽しむしかない。
ここに描かれる古美術界はただひたすら、ノワールの世界だったりする。


連作の主人公ともいえる存在の、佐保からしてがあやしい。
佐保は美術誌「アートワース」の副編集長にして、出版部次長、営業部次長…
どれにも〝副〟がつくのは、佐保の年齢だけが理由だ。
もういかがわしいことこの上ない。
で、「アートワース」が何をしてるか、というと、
〝無名作家から金をとって、その画家の作品と紹介記事を掲載する。
 いわば編集部が選んだ‘期待の作家’といった体裁で誌面に載せるのである〟
で、
〝無名画家は「アートワース」に掲載された自分の記事を有効利用して
 市場価値のない作品を客に売りつけ、
 このような相互扶助的な仕組みで成立してるのが、
 いわゆる‘美術雑誌ビジネス’なのである〟という。
もうミもフタもない。終始こんな感じで物語は進行する。


だから、贋作作成や、箱書きの偽造、さては
水墨画の相剥ぎ(和紙を薄くはがし、何枚もの〝準〟真作を作り出す)など、
ありとあらゆるあくどいテが登場する。
ある古美術商が、胸を張る場面がある。
「わしは金になるから道具を売り買いする。
 美術的価値とか歴史的価値とか、くだらんことはいっさい考えへん。
 そういう考えでやってきたからこそ、こうして飯が食えてる」。
こういう人たちの騙し騙され、はなかなか見応えがある。
何しろ、善意の被害者がいないのだから、
誰が騙されても、ニヤリとするしかないのだ。
もちろん、こういう小説の限界としては、
〝悪銭身につかず〟の思想がどうしてもつきまとうゆえか、
おのずとラストへの展開が読めてしまう、という部分もあるのだが。


まあ、そういう構造的な弱点に目をつぶると、非常に楽しく読める作品だ。
しかし、思うのは「どこかで読んだような…」。
そう、細野不二彦の「ギャラリーフェイク」に似たテイストなのだ。
もちろん、贋作ギャラリー主幸のフジタのような魅力的なキャラクターとか
ハートウォーミングなエピソードとかは、「文福茶釜」にはないんだが。
そういえば、相剥ぎとか、「ギャラリーフェイク」で読んだっけ。
あらためて「ギャラリーフェイク」のすごさを、認識し直したりしてみた。
スケール的にも、ウンチク的にも「ギャラリーフェイク」に軍配かな、と。
まあ、描かれる世界、そして人物たちの微妙な〝せこさ〟こそが、
「文福茶釜」の味わいでもあるから、
単純にどっちが上、というのは不適当とも思うが。
それでもどちらを勧める、と尋ねられれば、「ギャラリーフェイク」だろうか。
ま、マンガのほうがよみやすいしね。と、当たり前の結論で終わる。
ああ、きょうも尻切れとんぼ…