浅井柑「三度目の正直」

mike-cat2005-03-16



先月号の「本の雑誌」で気になった本の積み残しだ。
ちなみにもう一冊は吉川トリコしゃぼん」なんだが。


で、この「三度目の正直」の著者は1985年生まれ。
表題作が、第8回坊ちゃん文学賞大賞受賞とか。
とりあえず、この情報は知らないままで読了した。
だから、読んでいたとき感じていたこととか、
あとから「ああ、なるほどね」と思った部分もある。


何か、というとまずは全般的な物語の淡泊さ、だ。
まあ、マガジンハウスの出してる本だから、
別に若い作家さんじゃなくても、淡泊なのかもしれないけれど。
ただ、性同一障害を描いた「三度目の正直」も、
官能小説家の義母と13歳の少女のぎくしゃくした関係を描いた「ラブリーベイベー」も、
比較的表象をなぞっているような印象は強い。
それは、ミドルティーンの少女の視点からの物語、という言い方もできるけど、
あの世代にはあの世代ならではの、深い洞察力があるわけで、
そこらへんが完ぺきに描けているかな、と思うと、少々もの足りない。


特に「三度目の正直」に関して言えば、
性同一障害を描くには、ちょっと言葉足らずな面が感じられる。
全然関係ないが、この〝障害〟って言葉、気に入らないな…
そりゃ、すごく無思慮なレベルでの〝普通〟とは違うけど、
障害という言葉を書くと、すごく無神経に感じる。
いや、生きていく上での〝障害〟は多いんだろうけど。
まあ、それは置いておいて、もう少し主人公なな子の、
戸惑いの部分の書き込みが多くてもいいんじゃないか、とは思った。


ただ、この小説の味わいは別のところにある。
ミドルティーンならではの、感情を持て余すような部分、
半ばおとなになり、自分がわがままを言っている知りつつ、
周囲に甘えてしまうような、ある意味での傲慢さ、
ここらへんの描写は、とても絶妙だ。
ある意味、自分のあの頃、が懐かしかったりして、心地いい。


「ラブリーベイベー」の一節から引用したいと思う。
官能小説に対し、知識としては理解はできても、
本能的に拒否反応を示してしまうあたりなんか、
あの当時の、身勝手な潔癖さが感じられて、なかなかほほ笑ましい。
いや、僕はあんまりそっち方面には潔癖じゃなかったけど。
当たり前のオトコの子として、もう興味津々だったし…
あっ、それは関係ない。どこらへんが、ほほえましかったか、だ。
官能小説家の義母が使った資料を、義母の連れ子(17歳)に捨てに行かされた、
13歳のにいなが、ふと目をやると、そこにはポルノ…


〝なんだ、これぇ…。
 中をのぞいてみたら、むちむちの男や女の裸がコマ狭しと描かれた、
 ヘンな漫画雑誌だった(にいなはまだ、レディースコミックというものを
 見たことがなかったのだ)。なんだか、胸と腹が同時にムカムカしてきた。
 小説のネタにこんなものを使っているあの女もあの女だが、
 それを何気なく廃品回収に出せなんて、
 母娘揃って神経が麻痺しているに違いない。
 でも自分はまだ中学生で、頭も悪くて、友達をつくるのも下手くそで、
 そのくせ甘ったれで、そして何よりひとりで生活することができないから、
 我慢するしかないのだろう。我慢して…〟
状況に達観できるほど大人じゃないし、
それでギャアギャアわめきまわるほど、子どもでもない。
すごく不安定な心境をいい感じで表現していると思う。
たぶん、自分の数年前を振り返っての自省の念も、
あったりはするんだろうが、それはまた、それ。


〝体はもう完全に子供ではないのに、
 頭はまだ世の中というものに慣れていないため、
 こういう答えのわかりきったことを考えては、あれこれ悩む。〟
これ、当事者的にはもどかしい感覚だろうけど、
とっても大事なことなんじゃないか、と思う。
いいオトナになっちゃってからよりは、
まだ、悩む時間もあるだろうし(ないかなぁ…)。


まあ、いいオトナになってからも、
ある程度日常と折り合いをつけられる限界を見極めながらにはなるけど、
あれこれ悩んでみるような感覚は、むしろ必要だと思う。
ああ、こういう感覚、忘れていたかも、などと考えながら、
気づくとけっこう物語の世界に入り込んでいた。
読み終わり、著者プロフィールが目に入る。
最初に書いた通り「ほお、なるほど、ね」。
この小説でのぞかせたもどかしげな感覚を失わずに、
また違う物語を書いてくれたら、と、期待は膨らむ。
次回作を楽しみにしたい。
何を偉そうに? 自分でも思ったけど、まあ何とか許してたもれ…