時代小説ならではの味わい

風邪などに苦しみながらも、
宇江佐真理「桜花を見た」を読み終えた。桜花を見た
宇江佐真理は「幻の声」「たまごのふわふわ」に続いて3冊目。
以前は時代物、見向きもしなかったのに、けっこう、クセになってる。
ただ、これまで読んだことのある2冊とは、ちょっと趣向が違っていた。
ご存じ「遠山の金さん」や葛飾北斎ら実在の人物をモチーフに描いている。


5編の短編による構成だが、蝦夷地(現在の北海道)を舞台にした、
後半の2編はもう、時代小説ではなく、歴史小説の範疇だろう。
絵師としても名を馳せた蠣崎将監広年を取り上げた「夷酋列像
蝦夷地の見分を進めた最上徳内を取り上げた「シクシピリカ」は、
当時の蝦夷地での情勢などが詳細に描かれていて、興味深い。
久しぶりに、ためになる本を読んだ感覚だ。
別にためにならなくても読むから、別にどうでもいいのだが…


だが、抑えめながら宇江佐真理の味が出てるな、と思うのが、
遠山の金さんと、その放蕩時代にできた息子、英助とを描いた「桜花を見た」と
人気絵師、歌川国直と絵筆職人れんの切ない恋を描いた「別れ雲」だ。


「桜花を見た」では、英助の許婚、お久美が強烈に切ない。
子供の頃、足を悪くしてしまったことで、どこか強烈な諦念を引きずるお久美が、
一度父に対面したいと願う英助のために一肌脱いでみせる。
何しろ、相手はお奉行さまだ。そう簡単に対面できるものではない。
そこでお久美は、当時施行されていた奢侈禁止令を破り、自ら危険を冒して、
英助の夢を叶えようとする。もう、切なくってしかたない。
英助、お前お久美ちゃんを大事にしろよ、と念を押したくなる。
いや、よけいなお世話なんだが…


「別れ雲」にいたっては、
もう「女は耐えるしかない」「個人の気持ちより、家が大事」という、
この時代の考え方に押し流されるしかなかった、悲恋そのものだ。
人気絵師は自分より、5、6歳は歳下。
周囲は「いまはいいが、いつか捨てられる」と、れんを脅す。
また、筆職人として家を再興するためには、
一度は放蕩の末、自分を捨てて逃げた卯之吉との復縁が必要だ。


れんにとって、国直と過ごした一時期は、めっぽう幸せだった。
その幸せな時代に二人で見た鰯雲が、
すべてをあきらめたれんの前に、ふたたび姿を現す。
「あの鰯雲を、どういう訳か別れ雲というんだそうです」
国直の言葉を思い出したれんの胸に
「あれは、夢みたいなものだったんだ」との想いがよぎるのだ。


いまの時代なら、そんなこと振り切って、国直とも一緒になれるだろう。
僕なら、たとえ10年経って、捨てられるとしても、迷いはしない。
だから、現代小説だったら「自分にとって何が一番大事か、も優先できないなんて…」
と、れんの選択を見て、ただただ鼻白むだけだ。
だが、あの時代、あるいは数十年前でも、それは相当に難しい選択だったはずだ。
それでも、自分の想いを貫いて欲しいというのがあるけど、
時代小説の世界なら、こんな結末も許容範囲に入ってくる。
そう考えると、これが時代小説ならでは、の味なんだなぁ、
といまさらながらに思う。つくづく、本は色々なジャンルを読んでみるものだ。


きょうで札幌出張終了。
結局、滞在6日間で、〝北の大地〟っぽいトコ、お寿司屋さん1回だけ。
「ル・バエレンタル」も楽しかったけど、北の大地度はだいぶ低いしな。
つくづく、ネコに小判、ブタに真珠を絵に描いたような人間だ。
というか、旅行に行っても、街をぶらつく以外、観光地は一切行かないような人間なんで、
もういまさら、何をいってもしかたないんだが…