スーザン・セリグソン「巨乳はうらやましいか?―Hカップ記者が見た現代おっぱい事情」

mike-cat2007-11-05



〝究極のおっぱい文化論〟
「お取り扱い困難」な規格外巨乳に生まれついた著者が
強迫観念から逃げることなく、真っ正面から取り組んだ、乳房文化論。
〝ブラジャー売り場で、美乳整形医の手術室で、女性たちが熱く語り合う〟
おっぱいとは何か、巨乳とは何か、をマジメに問う、社会科学な1冊。


本を書くきっかけが何といってもおかしい。
〝小さな池にニミッツ級巨大航空母艦を浮かべたようなHカップのバスト〟に、
長年悩まされてきた作者が、NYセントラルパークで見かけた、
豊かな胸の女性が着ていたTシャツに書かれていたひとこと。
「ちょっと! わたしには顔もついているのよ」


確かに、いわゆる「おっぱい星人」でなくても、
たわわに実る女性の胸にはついつい目がいってしまうものだ。
というか、たわわじゃなくても、まあ目はいってしまうのだが…
〝人類の半分が示す解剖学的特徴が
 なぜほかの半分の理性を失わせるのだろうか?
 人体のほかの部分で、乳房ほど人の想像力をあやしくかきたてるところはない。
 ペニスに関する俗語が百あるとしたら、乳房に関する俗語は何百とある。〟
世のオトコを惹きつけて止まない、ある意味女性の象徴でもある。
そんなおっぱいをめぐる、あれやこれやを、
巨乳の持ち主が自ら探ってみる、というのが面白い。


豊胸手術に減胸手術、完璧なブラへの探求の旅、
「おっぱい専門誌」の編集長インタビューに、ストリップ業界のあれこれ、
街の中でのおっぱい露出に、おっぱいの社会史など、
おっぱいにまつわるあらゆることに目を向けている。
おっぱいにまつわる俗語あれこれなんかも数多く紹介されているが、
これはスラングを意訳してしまってるのが残念。
原語も添えてくれたら、それはそれで興味深かったのに、と思う。


豊胸手術ひとつ取ってみても、QOLのひとつとしてのという視点もあれば、
巨乳にしたらしたで、おっぱいだけしか見てもらえなくなる皮肉なんてこともある。
豊胸手術が常態化したポルノ業界となってくれば、
〝自分の好みの女の子が獣姦するとことを、
 ネットで簡単に見られてしまうことに飽き飽きしている人たちが、
 お金を払っても見たいという新しいキワモノ芸を編み出すことが急務〟なんて、
もうどこまで行ってしまうのか、ワケわからない世界も展開する。


そんな、おっぱい探しの旅の向かう先が、
まあ何となく当たり前の結論に終わってしまっているのがこれまた残念だけど、
なかなかない視点から、おっぱいについて考察を深めるのは楽しくもある。
大きかったり、小さかったりなどなど、おっぱいの悩みを抱える女性も、
おっぱい好きはもちろんのこと、「オレはお尻派」な男性も、
一読の価値はあるといっていい、なかなかオツな一冊だと思う。
ただ、写真や図柄はないので、怪しい期待をするのは、正直ムダである。