桜庭一樹「私の男」
〝おとうさんからは夜の匂いがした。〟
「赤朽葉家の伝説」の桜庭一樹、最新作。
〝なにもかもを奪いあう父と娘。
朽ちていく幸福と不幸を描く、衝撃の問題作!〟
禁忌の甘い香りと腐臭が漂う、深い味わいの作品だ。
結婚を目前にした、24歳の花。
その義父、淳悟は、今年で四十歳にもなる、どうしようもない無職の男。
どこか秘密めいた雰囲気を醸し出す父娘に魅せられる美郎。
2人に振り回される淳悟の元恋人、小町。
時間を遡りながら、次第に明らかにされていく、2人の暗い秘密―
五臓六腑にドーンと響き渡るような、強烈な作品である。
見てはいけないものを見てしまうような、危なっかしさと、
香り高さ、美しさが際立つ、場面描写の数々に、思わずのめり込む。
アンモラルだけど、どこか惹かれてしまう、魅力に満ちた作品だ。
冒頭からして、グッとくる。
盗んできた花柄の傘を手に、優雅に歩み寄る淳悟。
それを眺める、花の独白だ。
〝わたし、花はというとこのとき、二十四歳だった。
ふるびたものを、あなどる気持ちがあった。
すこしの軽蔑と、言葉にならない、いとしい気持ちの両方で、
泣き笑いのような表情を浮かべて男を出迎えた。〟
たった数ページを読んだだけで、その世界観にはまり込む。
ぶっきらぼうで投げやり、無頼派の淳悟にも、どこかに狂気が潜む。
〝自分を粗末にすることにかけては、
見所のある人なのにだめになることにかけては、
彼はむかしからプロ級だった。〟
そんなプロ級のだめな男がたどってきた軌跡が、
読む者のこころにもグイグイと食い込んでくる。
花自身に始まり、花の結婚相手、美郎に淳悟、
かつての恋人、小町と語り手を変えながら、時間を遡っていく物語。
そこで描かれるものの、切なく、虚しい、そして美しさは格別である。
心臓をわしづかみにされたまま、読み進める感覚は、まさしく読書の愉悦。
さすが桜庭一樹、と言いたくなるような傑作なのである。