TOHOシネマズなんばで「ブレイブ・ワン」
〝許せますか、彼女の“選択”〟
「告発の行方」に「羊たちの沈黙」、
「フライトプラン」などで、論議を呼び起こしたジョディ・フォスターが、
復讐をテーマに、またも論議を呼ぶ作品を生み出した。
婚約者を奪われ、復讐の処刑人と化した女性を、
社会派的な視点から描くのは、「クライング・ゲーム」、
「ことの終わり」のニール・ジョーダン。
共演に「ハッスル&フロウ」、「クラッシュ」のテレンス・ハワード。
幸せは突然、そして理不尽に奪われた―
NYでラジオのパーソナリティを務めるエリカは、
挙式を目前に控えた婚約者デイビッドとの散歩中、暴漢に襲われた。
エリカは一命を取り留めたが、デイヴィッドは残忍な暴力で帰らぬ人に。
後遺症で街の恐怖に怯えるエリカは、銃を持ち歩くようになったが、
ある日買い物に入った雑貨店で偶然、強盗に出くわしてしまう。
身を守るため、銃を放ったエリカは、その圧倒的な力に魅せられる。
いつしか、悪を裁く処刑人のような存在となっていくが…
許せますか、と訊かれたら、
許すも許さないも、とりあえずそんな権限はないということになるが、
もし、どちらかを選ぶなら、許す、だろうか。
復讐は新たな復讐の種を生み出すだけ、とはよくいう。
真理ではあろうと思う。
だが、理不尽に愛する者を奪われた人に対し、
そんな偉そうなことを振りかざす気には、とてもなれない。
ましてや、本来下されるべき社会正義は、どこにも存在しないとしたら…
処刑人、という題材は、アクション映画的には普遍的である。
愛する者を奪われた主人公が、ヒーローとして復讐する。
そんな作品なら、数限りなく作られてきたはずだ。
だが、この映画がそれらと一線を画すのは、
対テロ戦争を仕掛ける米国を投影しつつ、
リアルな題材として復讐や、正義の鉄槌について描いているところだ。
作品は、正義を信じるものとして、そうあって欲しい願望と、
復讐がもたらす一種の虚しさを、どこか曖昧に入り交じらせる。
「復讐の虚しさ」を唱えるニール・ジョーダンの狙いは、
そうした曖昧さの中に、復讐について考える余地を与えたい、というものらしい。
明確に「間違っている」とするジョディ・フォスターの演技は、
どこかエリカをエキセントリックに演じようとしている気もする。
受け取る側によって、七色に変わるそのメッセージは、何とも味わい深い。
もちろん、2度のオスカーに輝くジョディ・フォスターと、
実力派のテレンス・ハワードの演技のぶつかり合いは見どころ十分。
その2人の掛け合いだけでも、観る価値のある一本と言っていい。
ドラマの真髄をサスペンスフルに映し出す、ニール・ジョーダンの手腕や、
「ビッグ・フィッシュ」など、数々のティム・バートン作品を手がける、
撮影監督のフィリップ・ルースロによる映像も見事。
まさしく、必見の問題作といえそうだ。