戸梶圭太「燃えよ!刑務所 (双葉文庫)」

mike-cat2007-08-15



「おい小泉! 究極の構造改革は刑務所の民営化だっ!!!
囚人の皆さんは、更正するより金稼げっ!!」
コピーがハードカバー刊行当時を偲ばせる1冊。
〝ダーティー戸梶が放つ、超ハードノベル決定版!〟
民営刑務所を舞台に、ルール無用の大騒動が巻き起こる。
〝『小説推理』連載「俺の神と踊れ!」を改題して単行本化〟
山口県美弥市の「美弥テクノパーク」に、
PFI方式による民営刑務所、美祢社会復帰促進センターがこの5月にオープン、
まさに旬の話題ともいえる、社会派(?)作品だ。


時は2008年、刑務所の収容人員は飽和状態に陥っていた。
網走刑務所の収容率は139%、人口過密の所内では、
暴行事件が起きるなど、環境と治安は悪化の一途をたどる一方、
税金から負担される刑務所の運営経費は、大きな負担となっていた。
「刑務所過剰収容対策委員会」も立ち上げられたが、
警察庁法務省との綱引きが災いし、改革は難航していた。
そんな折、警察官僚OBの花菱城一郎が、画期的なアイデアを思いつく。
それは、囚人を働かせて運営経費を稼ぐ、民営刑務所だった―


作風はいつも通りのトカジ流全開である。
社会ネタを扱いつつも、テイストはあくまでバッド&バッド。
出てくる登場人物全部バカ、とどまるところを知らない極端な行動で、
一分の理はあったはずの行動原理も、いつしか単なるギャグに陥る。


収容されるのは、実在の民営刑務所とはまったく違い、
救いようのないほど激安の、極悪犯ばかり、という設定のため、
(あちらは傷害や殺人などではない犯罪者のみ)
収容者に対する扱いも、人権なんかはまったく無視。
資金調達だってマルチ商法に囚人プロレス、
タブーまみれの娯楽大作映画「燃えよ! 刑務所」という有り様だ。
ついには、あの世とこの世も巻き込んでの大騒動で、
何だか最初のテーマはどこへ行っちゃったの? という暴走ぶり。
ま、それもまさしくトカジ流といえば、そのまんまではあるのだが…


根っこのテーマはけっこう骨太だ。
主人公の花菱の言葉が、なかなかどうしてうなずける。
極悪犯どもの犯歴をつらつらと並べた後、花菱が吠える。
「俺は裁判官が嫌いだ」。そして、こう続けるのだ。
「奴らには罪の重さというものがわかっていない。全然わかっていない。
 九人もの少女を殺したり、傷つけたりした野郎に、たったの懲役十年だぞ。
 頭がおかしいんじゃないのか?
 裁判官には人の心ってもんがないのか?
 しかもそんな奴に、国は一日三食も栄養満点の飯を与えてぶくぶく太らせているんだ。
 そんな状況に我慢ならんから、俺が変えてやった」


まあ、裁判官だけを責めてもかわいそうだろう。
裁判官はあくまで決められた法の範囲と、判例にしか従うことができない。
もちろん、日頃こうした矛盾に接しておきながら、
大きな声を上げないのもおかしいといえば、おかしいのだが、
この場合、司法システム、という言葉の方が正確だろう。


こんな言葉もある。一般的な殺人犯の刑期の問題だ。
無期懲役になっても、早いと七、八年で出てくるんだろ?」
表現は悪いが、これではホント〝殺し得〟である。
人権派の弁護士なんて連中には、
「お前の嫁や娘が同じ目に合わされて、同じこといえるのか?」と、
訊きたいのだが、こういう犯罪者養護集団は、
想像力が欠如しているのか、それとも利権とか何かあるんだろうか? と思う。
やや話がよれたが、
つまりは、犯罪者の権利ばかりが重視されるいまの状況には著しく不満を感じるのだ。


だからこそ、ムチャクチャではあっても、
花菱が囚人たちに投げかける言葉が、爽快感を与えてくれる。
「お前たちのほとんどが、決まりきった毎日をどうにかしてやり過ごして
 刑期満了を待てばいいと考えているだろう。
 だが、このムショではそんなくそ甘ったれた考え方は通用しないぞ」
やっちまえ! ってなもんである。
痛い描写はやたらと登場するが、
もともとが人を無残にも傷つけた連中と思えば、別に何ともない。


ただ、最初に書いた通り、
それでもトカジ流の大暴走は、やはり行き過ぎではある。
(このレビューだって、暴走しすぎているのは承知だが…)
終盤に向けて、あの世もこの世もグッチャグチャとなってしまうと、
もはや犯罪者のどうこうなんて、まったく関係なくなってしまうのだ。
もう少し歯止めは効かなかったのかな…、なんて惜しい気持ちも感じるのだった。


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