金城一紀「映画篇」

mike-cat2007-07-31



〝今すぐ映画が見たくなる。
 今すぐ誰かに読ませたくなる。
 笑いと涙と感動が詰まった、完全無欠のエンターテインメント!〟
GO (講談社文庫)」「フライ、ダディ、フライ (The zombies series (SECOND))」の著者による、
書き下ろし連作集は、映画にまつわる5つの物語。
〝現実よ、物語の力にひれ伏せ。 金城一紀の最高傑作〟
実は「GO」しか読んでいないのだが、
書店でサイン本を見つけ、何となく買ってしまった。


5つの物語をリンクさせるのは、不朽の名作「ローマの休日」の上映会と、
ショッピングモールの一角にあるビデオショップ「ヒルツ」、
そして何か映画賞を獲った、小難しいだけのフランス映画。
5編のタイトルだけでなく、さまざまな作品が登場し、
金城一紀が胸に抱く、映画への熱い情熱をうかがわせる。


とはいえ、この連作集、どうにも評価が難しいのである。
グッとくるような場面に引き込まれる一方で、
あまりに作為的なストーリー展開や過剰な描写に、うんざりもする。
もしかして、ほとばしる情熱と意気込みが空回りしたのだろうか。
不満も含め、印象に残る本ではあるのだが、
何だかもう少し書きようがあったんじゃないか…、なんて思いも頭をよぎる。


冒頭の1編は、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」がモチーフ。
在日韓国人青年の映画への郷愁と、少年時代のたった1人の親友の物語だ。
いまは音信不通となった親友・龍一とともに、
取り憑かれたように一緒に映画を観続けた思い出を振り返る場面。
〝不思議なことに、龍一と見た映画を起点にして、
 目の前に広がる広がる記憶には、
 不幸せだった事柄がぽっかりと欠落しているのだ。
 映画の力で導かれた記憶の中の僕は、
 いつでも軽やかに笑い、素直に泣き、楽しそうに手を叩き、
 一心不乱に龍一と語り合い、はつらつと自転車を漕いでいた。〟
思わず、涙腺がゆるみそうになるのだが、ラストがどうにもいけない。
それまでの伏線からしても、別に不自然ではないが、
あまりに〝いい話〟にしようとする意図が見え見えすぎる気がする。


続いては、ブルース・リー「ドラゴン怒りの鉄拳」
思わぬ事態に巻き込まれた主婦と、風変わりなビデオ店店員との交流は、
センスを感じさせる小道具選びも含め、うまく描けてるのに、
これまた話をもっと膨らまそうとし過ぎて、切れがなくなった印象だ。


「恋のためらい/フランキーとジョニー」もしくは「トゥルー・ロマンス」
トゥルー・ロマンスさながらの逃亡劇に、
ちょっと「フランキーとジョニー」風のロマンスを加えた、悪くないストーリー。
だが、やっぱり作為的な臭いがプンプンとし過ぎて、
せっかくのいい感じでバカバカしさが出ていたのに、
鼻につくようないい話に転落してしまったように感じた。


クリント・イーストウッド「ペイルライダー」は、ムダな場面が痛い。
5頭身でパンチパーマのペイルライダーと、
孤独な少年の交流には、胸が詰まるような感動を覚えるのに、
ミステリー的なオチともなる?実際?の場面の描写が、持ち味を削ぐ印象だ。
おそらくそこに作者はこだわりがあるのだとは思うが、
まるで何でもベタに描くだけの、TVドラマのような無粋さが伝わってくる。


ローマの休日」上映会の顛末を描いた「愛の泉」も、話としては悪くない。
祖母を慕う孫たちの気持ちと、それを支える温かい人々の交流は心に迫る。
しかし、こちらは全体的に冗長で緩慢な気がしてならない。
中編にするにはネタそのものが小さいし、
短編に仕立てるには細かいエピソードを詰め込みすぎた印象だ。


たいして熱心でもない読者がいうのも何だが、
金城一紀の味は、それなりに出ているんだろうと思う。
だが、やっぱり物足りないのは確かで、
オビにあるような「最高傑作」というのには首を傾げるし、
ましてや「完全無欠のエンターテインメント」なんて全然思わない。
読み終わって人に映画を観せたくなるような衝動も湧いてこない。
感じるのは、最初にも書いた通り、映画への情熱の空回り感。
テーマが映画、ということで、
それだったら、伊坂幸太郎が同じプロットで書いたら… 
なんて人の悪い考えも浮かんでしまうのも確かなのだった。


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