豊島ミホ「ぽろぽろドール」

mike-cat2007-07-26



〝これが運命の「ひと」〟
青空チェリー (新潮文庫)」「檸檬のころ (幻冬舎文庫)」の豊島ミホ最新作。
〝美しくも官能的で、残酷なまでの思いを
 人形に託した人たちの、切なくも真っすぐな物語〟
人形にまつわる「パピルス」連載などの6編をまとめた連作集だ。


表題作「ぽろぽろドール」の人形は〝泣き人形〟。
鎌倉で一人暮らしを続けていたおばさんの遺品は、
引っぱたくと、その瞳から涙を流す、カラクリ仕掛けの人形だった―
〝わたしの代わりに泣いてくれる男の子なんか、どこにもいない。〟
女の子の悲しみ、切なさをノスタルジックに描き上げる。


「手のひらの中のやわらかな星」の人形は、着せ替え人形。
過疎の山村から、街の高校に出てきた〝私〟がぶち当たった現実。
〝私はブスだったのだ。
 どうして金木先生も葵ちゃんも教えてくれなかったのだろう。〟
そんな〝私〟の、かわいくなりたい気持ちを投影するのは、
クラスで一番の美少女そっくりの着せ替え人形だった。


クラスで孤立する〝私〟が、休み時間を持て余す様子が切ない。
〝誰にも話しかけられない私は、頬杖をついてじっと黒板を見ていた。
 休み時間はやることがない。
 ほんとうはこの合間に一語でも辞書を引き、
 一問でも数学の問題を解けばいいのかもしれないけれど、
 どうもムダな気がしてやるきが起きない。
 トイレに行く生理的切迫感もなく、購買に走るほどおなかも減らず、
 仕方ないので黒板を見つめる、
 薄い白チョークの文字ですら、ゆっくりと画面ヤケを起こしそうなほど。〟
あまりのリアルな描写に、実体験めいた錯覚すら覚える。


「めざめる五月」の人形は、〝わたし〟そっくりの等身大人形。
田舎の小学校に期間限定で転校した〝わたし〟が、
隣のクラスの男の子に見せられた、〝わたし〟そっくりの人形の物語。
男の子のたっての願いに応え、人形ミカの代弁者として、
男の子が人形を愛撫する姿を見つめる〝わたし〟がエロティックである。
正直、やや踏み外した感じもなくはないが、それはそれで悪くない。


「サナギのままで」の人形は、幼い時代の思い出を込めた少年のマネキン。
少女時代、妾になると思いこんでいた、製糸工場の坊ちゃん。
〝私〟は、太平洋戦争に散った少年の面影を、マネキンに映し出す。
完璧だった子ども時代への郷愁が、ねじれた形で表出する姿が切ない。


「きみのいない夜には」人形は、〝私〟が追い求めた運命の人形。
オークションで競り落とした中古の人形には、
未練を残した元の持ち主が、何度となく手紙を送り付けてくる―
〟血の底までさらわれて自分の中身がすっからかんになるような、運命が欲しい。
 「地の底まで」じゃなくて「血の底まで」だ。
 本当の運命というのは、自分が無力で、
 何もできないことを実感するしかないような、力強い流れのことだと思う。〟
激しい思いこみが、さらなる渇望を生み出す。
そして、その渇望を満たしてくれる人形が、何とも気持ち悪くも美しいのだ。


「僕が人形と眠るまで」の人形は、
秋葉原の街角に飾られた昔の彼女そっくりの等身大フィギュア
美しさが自慢だった〝僕〟が事故でその容貌を破壊され、
まったく違う人生を歩む様が、残酷なタッチで描かれていく。
きれい事なしの、イタい描写が、いちいち心に突き刺さってくる。


豊島ミホ、ここ何作かパスしていたのだが、
久しぶりに読んでみると、幼くも危険なエロシズムがなかなかナイス。
少女ならではの残酷さとか、えげつなさの描写は、やはり秀逸だ。
「手のひらの中のやわらかな星」でも書いたが、
実体験さながらの、イタさとキツさが、グイグイと迫ってくるあたりはさすが。
そんな場面描写のうまさが増している一方で、
デビュー作の頃の鮮烈さがちょっと感じられないような気もちょっと…
面白かったけど、満腹感がどうにも足りない、そんな1冊でもあった。


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