テッサ・モーリス=スズキ「北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる」
〝驚愕の新事実!!
そもそも、日本政府、官僚、日本赤十字の動きから始まった―。〟
1960年代、およそ9万人の在日朝鮮人が、
偽りの「地上の楽園」に向け、旅立った〝帰国事業〟の真相を探る。
〝それは策略と欺瞞と裏切りの物語〟
歴史の闇に隠蔽された、政府、官僚、赤十字、そしてメディアの大罪を暴く。
ことの起こりは、日本の植民地支配に端を発する。
戦時の労働力獲得のための強制連行だけでなく、
植民地支配がもたらした貧困が、朝鮮半島からの人口流入を招いた。
しかし、太平洋戦争の敗戦。
大東亜共栄圏の妄想破れた後に残されたのは、焼け残った大地。
戦後の復興を目指す日本にとって、
もはや朝鮮人は安価な労働力ではなく、足手まといだった―
過去の経緯を勝手に水に流し、在日朝鮮人を疎んじる日本政府。
職もなく、貧困に苦しむ在日朝鮮人は、社会保障のお荷物と化した。
そんな中、政府、官僚、そして赤十字までが一体となって行ったのが、
甘言を弄して在日朝鮮人を半島に帰す、欺瞞に満ちた帰国事業だった。
メディアの喧伝する「地上の楽園」を信じ、
半島へ戻った人たちを待ち受けていたのは、
金日成政権の恐るべき政治弾圧、食糧難に生活苦、そして飢饉だった―
そして、そんな罪深き〝事業〟の背景にはさまざまな思惑が錯綜していた。
〝多くの力がひとつになって帰国運動が形成された――
もっとも顕著なのは、日本と北朝鮮の政府、両国の赤十字、
総連、日本の野党とメディア、赤十字国際委員会、
そしてソビエト連邦とアメリカ合衆国の政府。
このすべてが誤りを正す責任をともに負っている。〟
帰国事業が、大きな利益につながるのは日本だけではなかった。
〝金日成政権が労働力を必要としていたこと、
世界が瞠目するような経済発展を遂げるという壮大な夢、
日本、韓国、アメリカの三者関係に横槍を入れたいという欲求、
そしてグローバルな舞台でのプロパガンダ勝利への憧れ、
そうしたすべてにとって帰国が得策だったからだ。〟
そして、北朝鮮への〝帰国〟は、決して〝帰郷〟ではなかった。
当時帰国した多くの人が、実は半島の南に浮かぶ済州島出身。
反共の嵐が吹き荒れ、政治犯への不当な扱いが、
命の危機にまで及んでいた李承晩政権への忌避感が、偽りの〝帰国〟を後押しした。
また、韓国政府は、事業に反対の立場を取る一方で、
在日朝鮮人の帰国を、日本との外交的行き詰まりを打開する、
材料として利用するほうに熱心だったことが指摘される。
当時冷戦を展開していた大国も例外ではない。
ソ連は中国への牽制や、地域での影響力維持を狙う一方で、
アメリカは反共の拠点としての日本が左傾化するのを恐れ、
その〝足手まとい〟になりかねない朝鮮人の排除を黙認した。
そして、そんな状況を無責任に煽った共産党、社会党、各メディア…
しかし、そうした帰国事業の中核を担った人々の名は意外と知られていない。
どれだけ、その部分に身を砕いたか、も感心するほどの周到さ。
〝そう、これはまさに隠蔽の物語だ。
日本の権力階級にいた一群の人たちをもって始まる物語。〟
悪夢に囚われた9万人の人々は、単なる駒として利用されたのだ。
帰国事業のことは、知識としては知っていたが、
これほどの臨場感で再現をされると、
いかに政府や官僚、そしてメディアというものが信用できないものか、あらためて思い知る。
特に、以前から気になっていた、「地上の楽園」を喧伝したメディア。
〝一九五八年半ばごろ、ある情報が毎日のように日本の新聞をにぎわし、
左翼的な在日朝鮮人組織はその話題でもちきりになった。
洋秀の両親もそろって食い入るように読んでいた
――朝鮮人は完全に無料で北朝鮮に帰国できる、という新聞記事。
朝鮮民主主義人民共和国の社会主義制度は急成長を遂げていて、
すばらしい無償住宅、福祉、確かな収入、
女性のための職業などが約束されていると、眩しいような写真入りで伝える雑誌の記事。
すでに完成済みで、帰国すればすぐに入居できる
真新しい集合住宅が建ち並ぶ、魅惑的な風景写真。〟
戦中は大本営情報を垂れ流し、散々戦争を煽った挙げ句、こんどはこれである。
いかに恥知らずな集団なのか、憤りを通り越し、呆れてしまうしかない。
本の中に登場する人物の回想が、あまりに切ない。
〝李洋秀が――怒りとともに――とくにはっきり思いだすのは、
一九六〇年に朝日新聞に掲載された「三八度線の北」という連載記事である。
朝日新聞記者が第一次帰国船到着後の北朝鮮を訪れて描いたこの記事は
“祖国”で帰国者を待ちうける幸福な生活についての
北朝鮮政府によるイメージを無批判になぞっていた。〟
ちなみに、この本の出版元は、その、朝日新聞である。
この本の出版は、ある種の罪滅ぼしなのか、どうも気になる部分でもある。
多くの朝鮮人が帰国の途についた、新潟港の風景、
そしてレマン湖の畔にたたずむ、ジュネーブの国際赤十字委員会。
過去と現在を織り交ぜながら再現される、罪深き事業は、
そんな事業を平然と遂行した国の国民として、恥じる想いを抱かせる。
そして、それをまとめ上げたのが、英国出身で、
現在オーストラリアで大学教授を務めている作者であることにも…
どんな国であっても、後ろ暗い部分はあるのだとは思うが、
歴史教育を始めとして、その後ろ暗い部分を隠し続けるこの体質。
どこか、「美しい国」とかの戯れ言を口にする〝彼〟の顔を思い起こさせるのだった。