海野碧「水上のパッサカリア」

mike-cat2007-06-28



〝第十回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作〟
増刷!の文字が、オビの中央に踊る。
〝「朝日新聞」「産経新聞」…各紙誌で大反響!
 話題騒然、驚嘆すべき新鋭、堂々のデビュー!〟
新人賞の選評には、賛辞が立ち並ぶ。
〝読後、思わず「パッサカリア」のCDを探し、かけてしまった。
 要するに、そうさせるだけの作品だった。 北村薫氏〟
それなら、読まずにおけようか、ということで。


Q県は穂刈高原、風光明媚な翡翠湖。
湖畔の家に住む自動車整備士の大道寺は、
思いがけない事故で妻の奈津を失い、犬のケイトと悲しみの毎日を送っていた。
だが、そんな大道寺に、〝過去〟が襲いかかる。
人にはいえない稼業、そして秘密…
奇妙な依頼人、かつての仲間、そして因縁が大道寺に追いすがるのだった―


物語はいまな亡き奈津との思い出で幕を開ける。
〝麝香や沈香、もしくは白檀とかジャスミンにラベンダーといった
 香りを適宜混ぜ合わせて若干の熱を加えた香りと言ったらいいのか、
 玄妙としか表現のしようのないあまやあでほんのり酸っぱい匂い〟の奈津。
人生に裏切られ、自分の殻に閉じこもっていた奈津との出会い、
そして、大事に育んできた愛と、安らぎに包まれた生活…
むずがゆいほどに甘い描写ではあるが、それもまたなかなか悪くない。
愛すべき駄犬ケイトの登場で、読む者にもその生活への愛着がわき出す。


一方で、回想の中の大道寺は最初、好感の持てないエゴイストだ。
クールなキャラクターはともかくとしても、
女性に対する考え方がどうにも前時代的な、許し難いタイプ。
大道寺自身が、そんなだった自分を評した言葉は
〝鼻持ちならないほど利己的で、独善的で傲慢なアンチフェミニスト〟。
だが、奈津との出会いが、そんな大道寺を次第に変えていく。
そんな折に、最大の悲劇がふたりを襲う。
そして、奈津を失い、空虚な毎日を送る大道寺のもとに忍び込む、過去の影。


かつての稼業、そして奇妙な依頼人が、大道寺を新たな危機に落とし込む。
ここからのサスペンスフルな展開は、
奈津との思い出と奇妙なコントラストを描き、何とも味わい深さを感じさせる。
そして、最後に明かされる真相、
「パッサカリア」の調べに包まれ、深い余韻を残す静謐のラスト…


ヘンデルチェンバロ組曲第七番ト短調パッサカリアの伴奏に
コスモスの花、そして翡翠湖の光景が、目の前に浮かぶ。
〝周囲の山並みの山頂は二、三日前に降った初雪を被って白く輝き、
朝焼けの冷え冷えとした紺青色の翡翠湖にチェンバロの曲が鳴り響いて〟
この一文だけでも買い、の美しさである。


奈津との出会いで変わったとはいえ、
大道寺のキャラクターそのものに、あまり感情移入できない分、
乗り切れない部分は否定できないし、
奈津の無垢なキャラクターも、あまりに類型的という部分もある。
全体的にところどころアンバランスな印象もある。
しかし、それを補って有り余る魅力に満ちた作品ではあると思う。
これはなるほど納得、の作品であったりもするのだ。


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水上のパッサカリア
海野 碧著
光文社 (2007.3)
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