吉田修一「悪人」

mike-cat2007-06-14



〝幸せになりたかった。ただそれだけを願っていた…。
 保険外交員を殺害した男と、彼に出会ったもう一人の女。
 加害者と被害者、それぞれの家族たち。
 群像劇は、逃亡劇から純愛劇へ。〟
パーク・ライフ (文春文庫)」の芥川賞作家が放つ、新たな代表作。
〝なぜ、事件は起きたのか?
 なぜ、二人は逃げ続けたのか?
 そして、悪人とはいったい誰なのか?〟
朝日新聞連載を単行本化した、話題の1冊。


長崎市郊外に住む若い土木作業員が、
福岡市内に暮らす保険外交員の石橋佳乃を絞殺し、
その死体を遺棄した容疑で、長崎県警察に逮捕された。
犯人の男は、その後出逢った女と、未来のない逃避行を続ける。
なぜ、殺害に及んだのか、なぜ、二人は逃げ続けたのか―
殺害者、被害者、そして関係者…
さまざまな視点、さまざまな証言が、事件の〝真相〟を炙り出す。


週刊誌が暴き立てる、加害者、被害者、その関係者をひっくるめた醜聞、
そして、新聞やテレビが騒ぎ立てる安っぽいモラルと、使い古された分析…
殺人事件そのものは、世間をしばらく騒がす程度の、
もう最近ではすっかり〝ありふれた〟事件に過ぎないだろう。
だが、作品は、その事件の真相を追うのを目的としない。
その関係者をマルチアングルでとらえた、素描の集積が、
その事件の現場の風景や臭気、そしてざらざらした手触りを伝える。


そして、描き出されるのは、殺す側、殺される側の、悲しいほどの愚かしさだ。
たとえば、被害者と同じ職場で働く、親友でライバルの沙里との関係。
3人グループのおとなしいもう一人を通じ、
意地と見栄の張り合いを続けるさまは、読んでいるだけで何ともイタい。
たとえば、犯人がかつて入れ上げたヘルス嬢が、その求愛から逃げた理由。
黙々と尽くしながらも、どこか方向性が狂った、その哀しさは、どうにもキツい。
もちろん、その二人の愚かさばかりを強調するわけではない。
数々の関係者が語る、意外な側面は、
実際の事件でメディアが取り上げることのない、事件の生きた様子を伝える。


その、ライブ感が伝わってくる場面がある。
被害者と時間を過ごしたある男が、心中でこうつぶやく。
「こういう女が男に殺されるっちゃろな」
理解できる、という言葉を使うと、だいぶ誤解を生みそうだし、
こういう思いがよぎることは、現実に経験ないが、
何となく、この感情が、とてもリアルに感じてしまうのだ。


そんな犯人や被害者、そして関係者の心象風景に触れ、
そしてたどる、何とも淡々とした結末は、一種独特の余韻を残す。
まったく劇的なものがない、まさにありふれた最後こそ、
このイヤな手触りの事件を締めくくるのにふさわしい、そう思えてくる。
悪人は誰なのか? の問いを突き詰めるのは、あまりに新聞的でつまらない。
実際、著者こそが一番の悪人じゃないの? なんて気すらするのだ。


読み終えての評価は、読み応え十分の佳作。
そういえば、吉田修一の作品を読むのは初めてだったが、
いまさらながら、過去の作品なんかを読んでみたい気がムクムク起こる。
ただ、巻末のオビによると、この作品で吉田修一は大きく飛躍したらしい。
それをそのまんま鵜呑みにすると、どうするべきか、悩ましいところではあるのだが…


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悪人
悪人
posted with 簡単リンクくん at 2007. 6.11
吉田 修一著
朝日新聞社 (2007.4)
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