ヤスミナ・カドラ「テロル (ハヤカワepiブック・プラネット)」
〝なぜ妻は自爆したのか?〟
愛する妻が、自爆テロの首謀者に―
幸福な生活を送っていた男に、突如突きつけられた衝撃の事実。
〝イスラムの哀しい夫婦の愛を描いた野心的傑作。〟
アルジェリア出身でフランスへ亡命したかつての覆面作家が、
テロが横行するイスラエルとパレスチナを舞台に、
宗教と紛争、愛と憎しみ、そして自由の意味を描いた、哀しみの物語。
テルアビブ在住のアーミンは、遊牧民からイスラエルに帰化し、外科医として成功をおさめた。
妻シヘムとともに、裕福で、幸せな生活を送っていたアーミンに、突如悲報が告げられる。
多くの小学生を巻き込んだ、レストランでの自爆テロで、妻も命を落とした。
呆然とするアーミンに、さらに追い討ちをかけるような事実が告げられる。
「犯人はきみの奥さんとしか思えない」
信じられない事実に戸惑い、苦しむアーミン。
なぜ、妻は自爆テロに及んだのか。真相を求め、アーミンは危険地帯へと足を踏み入れていく―
とてつもない作品である。
不条理ともいえる事態に突如巻き込まれる、一級品のサスペンスであり、
解り合うことのできなかった、夫婦の哀しい愛を描いた異色のロマンスでもあり、
流された血が、新たな血を求める、憎しみの連鎖を描いたドラマでもあり、
イスラエル人とパレスチナ人、どちらでもあって、どちらでもない外科医アーミンの自分探しでもある。
複雑に絡み合う要素に、答えの出ない問い掛けを巧みに織り交ぜながら、
それでいて過剰に技巧に走ることなく、読むものの魂に食い込んでくる。
真相を追い求めるアミーンと、組織の中核の会話が印象的だ。
「すべてを知りたい」と問いかけるアミーンに、〝活動家〟がこう言い放つ。
「どの真相かね。あなたにとっての真相か、それともあなたの妻にとっての真相か。
自分の義務がどこにあるのかを考えた女にとっての真相か、
それとも、悲劇から目を背けてばかりで自分は無関係だと思いこんだ男にとっての真相かね。
あなたはどんな真相を知りたいというのか。イスラエルのパスポートを手にすれば
苦難の道から抜け出せると考えたアラブ人の目から見た真相か〜」
突き刺さるような言葉に対し、アミーンもこう言い返す。
「勇気だの尊厳だのたいそうなことを口にしながら、
自分だけは安全な場所にいて女や子どもたちに危険な役目を与えているじゃないか」
「私は自分勝手でもなければ冷淡でもないし、人並みに自尊心もある。
他人の暮らしを犠牲にしないで自分の暮らしを築きたいだけだ。
良識を犠牲にして苦痛を優先する預言なんか信じたくもない」
決して相容れることのない、ふたりの議論はどこまでも哀しく、胸に突き刺さる。
暴力の否定、は絶対的な正論である。
誰だってその犠牲はなりたくないし、誰だって(基本的には)犠牲にしたくない。
だが、不条理な犠牲を強いられた者に対し、
その正論をただ突きつけるのはあまりにも無責任で、思い上がった無情な行為だ。
作品の中に限らず、狂気とも思えるテロに及ぶ(もちろん、死生観の問題もあるが)者たちが、
なぜ、そんな行為を選択するにいたったのか、を考えたら、とてもそんなことは口にできない。
これを考え出すと、間違いなく最後は袋小路にたどり着いてしまうのだが、
少なくとも何でもかんでも「暴力はいけない」と正論を振りかざし、
思考停止に陥るようなことはしたくない、というのが、個人的なスタンスでもある。
この小説にも、決して答えは用意されていない。
暴力の連鎖という袋小路から抜け出せない哀しい現実を、
対立するふたつの陣営に属しつつも、外れてしまう哀しい男を通じて描く。それだけだ。
まずはそれに触れ、考えることで、すこしでも解決につながるかというと、
おそらく全然なんの力にもならないとは思うのだが、考えずにはいられない。
というわけで、
何ともまとまりがなくなってきたので、本日はこれにて打ち切り。
作品としては最高に〝面白い〟にも関わらず、とにかく悩ましい1冊だった。