柳澤健「1976年のアントニオ猪木」

mike-cat2007-04-26



〝1976年のアントニオ猪木は日本のプロレスを永遠に変えた。〟
世紀の大凡戦、と酷評されたアントニオ猪木vsモハメッド・アリ戦など、
アントニオ猪木が戦った、1976年の異種格闘技戦4試合を、
日本のプロレス・格闘技界を大きく変えた転機として取り上げる。
かつて〝世界最大のプロレス大国であった〟日本に贈る、渾身のノンフィクション。
〝1976年のアントニオ猪木はあらゆるものを破壊しつつ暴走した。
 猪木は狂気の中にいたのだ。〟
ショーであるはずのプロレスの世界で、突如発生したリアルファイト。
それは、猪木という稀代の天才によってしか、なし得ない〝事件〟だった。
猪木の1976年があって、いまがある。
そう、〝私たちは76年に猪木がつくりあげた世界観の中にいる〟のだ。


この本がデビュー作となる著者は、1960年生まれ。
学生時代に「ぱふ」の編集者を務めた後、
一般企業勤務を経て、文藝春秋に入社。「Number」編集を経てフリーライターとなったという。
Number、というのがどうにも引っかかるが、
近年必要以上に権威化が進むNumber文体とは、やや一線を画す印象だ。
いわゆるプロレス・メディアによる、ストーリーに沿ったプロレス文脈ではなく、
リアルファイト、もしくはセメント(真剣勝負)で書かれたノンフィクションである。


かつて子供のころタイガー・ジェット・シンに未知の恐怖を垣間見せられ、
そして小学校から中学生時代にかけては、猪木vsハンセン、タイガーマスクにシビれ、
そして佐山聡がリードしたUWFのスタイルに、トドメを刺された世代としては見逃せない。
UWF崩壊以後はプロレス・格闘技から興味を失った、脱落者ではあるのだが、
各方面での大評判を聞いて、自分の中の〝プロレス魂〟がメラメラと燻り始めてしまった。


〝1976年、猪木は極めて異常な4試合を行った。
 2月にミュウヘンオリンピック柔道無差別級および重量級の優勝者ウィリエム・ルスカと。
 6月にボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメッド・アリと。
 10月にアメリカで活躍中の韓国人プロレスラー、パク・ソンナンと。
 12月にパキスタンでもっとも有名なプロレスラー、アクラム・ペールワンと。〟
アントニオ猪木
プロレスこそ地上最強と謳い、ストロング・スタイルを標榜した、稀代の天才エンターテイナー。
リアルファイトの強さだけでなく、相手の強さを引き出し、名試合を演出する能力は天下一品。
その、〝実力〟は、「ホウキが相手でも試合をできる」と評された。
その派手で強引なプロデュース手腕も含め、
リングの内外でリアルとフェイクの狭間をきわどくたゆたう、とんでもないカリスマでもある。


このノンフィクションは、その猪木の原点を探るところから始まる。
リアルタイムの〝アントニオ猪木〟を知らない読者に対しても、
その特異なプロレスラー人生、そして猪木寛至の半生を強く訴えかけていく。
第1章「馬場を超えろ」では、
生涯の宿敵にして、恐るべき策謀家でもある、ジャイアント馬場との因縁や、
日本プロレス追放から、新日本プロレス旗揚げまでの経緯、
そして、新日本プロレスが揺籃期の苦境を覆すきっかけともなった、タイガー・ジェット・シン戦、
エース対決として話題を呼んだストロング小林戦に、
生涯のベストバウトとされるビル・ロビンソン戦までを振り返る。


新宿・伊勢丹前襲撃事件や腕折りなど、数々の衝撃的な記憶に彩られたシン戦は、
〝プロレスはセックスに非常によく似ている〟という猪木が、
そのシンを〝いいセックスができる相手〟というエピソードが秀逸。
「こんな試合を続けていては、10年持つ選手生活が1年で終わってしまうかもしれない」、
「いつ何時誰の挑戦でも受ける」などの名言を残した小林戦もまた、強烈な印象を残すし、
生涯のベストバウトとして、評価も高いロビンソン戦が、
同時に猪木の限界をかいま見せた試合だったことには、ファンとしては衝撃を覚える。


第2章「ヘーシンクになれなかった男」は、
「プロレスは最強の格闘技である」という、
巨大な幻想はこの試合から始まった。というルスカ戦。
第3章「アリはプロレスに誘惑される」は
ゴージャス・ジョージや、フレッド・ブラッシーに、
大きな影響を受けたアリの「猪木戦」までの半生を振り返る。
第4章「リアルファイト」は、
世紀の大凡戦の舞台裏を赤裸々に描き出す。
偉大なるアリが
〝世界最高のプロレスを日本の観客に披露するつもりでやってきたにもかかわらず、
 猪木の罠にはまり、訳のわからない異種格闘技戦(Mixed Martial Arts)の
 リアルファイトを戦う羽目に陥った。〟
その経緯は、読んでいるいるだけで、ゾクゾクするような感覚に襲われる。
〝アリはプロレスのバカバカしさが大好きなのだ。〟
で、幕を閉じる章末の感慨深さは、格別だ。


第5章「大邱の悲劇」は、
力道山に馬場はいても、猪木がいなかった韓国プロレス界の悲哀が伝わってくる。
アリ戦の苦境を脱するために、猪木が受け入れたのは、
格下と見ていた韓国の英雄との一戦だった。
〝ごく普通のプロレスになるはずだった2人の試合は、
 プロレスの領域を越えた凄惨な結末を迎えた―〟
第6章「伝説の一族」はアクラム・ペールワン戦。
〝モハメッド・アリやパク・ソンナンとの試合では
 自分からリアルファイトを仕掛けた猪木が、
 今度は仕掛けられる側に回った。因果応報である。〟
韓国・パキスタンのプロレスに、致命的なダメージを与えた事件の顛末が、興味深い。


第7章「プロレスの時代の終わり」は
タイガーマスク佐山聡)という天才の登場で、
まさに絶頂期を迎えていた新日本プロレスが、
力の衰えとともに、リングでのカリスマ性を失い、
リング外では事業に湯水のように金をつぎ込んだ猪木の好き放題で窮地に追い込まれる。
猪木のまさに私利私欲で、黄金時代の終焉を迎えた新日本の栄枯盛衰を振り返る。
終章「そして総合格闘技へ」では、
グレイシー柔術が打ち砕いた日本の「プロレス最強」幻想の崩壊が述べられる。
そして、1976年の猪木が描いた未来図の、現在の姿。
〝モハメッド・アリとアントニオ猪木の試合は、
 ストライカー(打撃系)対グラップラー(組み技系)のリアルファイトであり、
 総合格闘技は正しくその延長線上にある。
 アントニオ猪木がたった一度だけ垣間見せた幻は、いまや現実のものとなった。〟


偉大なプロレスラーは、それまでにもいた。
〝だが、彼らがプロレスの枠組みから外れたことは一度もない。
 結局のところ彼らは観客の欲求不満解消の道具に過ぎなかった。
 ただひとり、アントニオ猪木だけがジャンルそのものを作り出したのだ。〟
まさしく、猪木の前に猪木なく、猪木の後に猪木はないのである。
そして、本書は
〝巨大なる幻想を現出させ、観客の興奮を生み出すのがプロレスラーであるならば、
アントニオ猪木こそが世界最高のプロレスラーである。〟と結ぶのだ。


「世紀の大凡戦」の裏側として、巷間で取り沙汰される〝伝説〟や、
パク・ソンナン戦、ペールワン戦に関しての一般的に認識されている〝事実〟も、
関係者のインタビューによって、大きく覆されるあたり、かなり衝撃の書でもある。
だが、猪木が魅せてくれた〝夢〟は、何ら色褪せることはない。
猪木周辺、もしくは関係者のインタビューをもとに掘り下げた〝真実〟に、
猪木自身の言葉が(著書や過去の資料以外)ないのは残念に思う一方で、
だからこそここまで面白く書けた、というのも確かな気がする。
何はともあれ、プロレスに一度でも血をたぎらせたファンなら必読の1冊。
何だか、昔のDVDでも買いに行きたくなる、そんな気分にさせられてしまった。


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1976年のアントニオ猪木
柳沢 健著
文芸春秋 (2007.3)
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