TOHOシネマズなんばで「ハンニバル・ライジング」
〝レクター博士「誕生」に秘められた謎が今、解き明かされる!〟
「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターの幼少期から、
青年期まで成長を描いた、待望の最新作にして、
シリーズのいわば〝エピソードⅠ〟に当たる原点でもある。
原作者のトマス・ハリスが脚本をみずから担当、
「真珠の耳飾りの少女」のピーター・ウェバーがメガホンを取り、
映画史上に残る〝怪物〟誕生までの軌跡を描く。
主演は「ロング・エンゲージメント」のギャスパー・ウリエル。
共演にコン・リー(「始皇帝暗殺」、「マイアミ・バイス」)と、
リス・エヴァンズ(「ヒューマン・ネイチュア」「ノッティングヒルの恋人」)。
第二次大戦末期のリトアニア。
ナチス・ドイツの進撃で、領主でもある両親を失った6歳のハンニバルは、
取り残された幼い妹ミーシャとともに、ナチスの自発的協力者〝ヒヴィ〟に囚われた。
戦渦による深刻な食糧不足に苦しんだヒヴィたちは、肺炎気味のミーシャを…
そして8年後、レクター城は養育施設となり、青年ハンニバルを収容していた。
母の形見の手紙で叔父の住所を知ったハンニバルは、一躍パリへ…
そこで待っていたのは、叔父の妻であるレディ・ムラサキ。
それはハンニバルの人間形成に大きな影響を与える、運命の出会いだった―
出来としては悪くない。
ギャスパー・ウリエルのオーバーアクトはやや気になるところではあるが、
まあ〝ハニバル・ザ・カニバル〟にだって若気の至りはあるはずだ。
それだけをとって、ダメ出しをしていたら、どんな映画だって駄作になってしまう。
全体的なストーリーのテンポはそう悪くないし、見せ場もある。
ミーシャを文字通り〝食い物にした〟一味に対する復讐劇と、
叔母であり、憧れの人でもあったレディ・ムラサキとの淡く、切ない悲恋。
ストーリーの核をこの2点に絞り込んだため、単体の映画としてはまとまりもある。
一方、こうした映画で描かれる〝日本〟というのは、様々な意味で誤解に満ちた、
トホホなものが多いのだが、さすがトマス・ハリスといったところか、そこまでヘンじゃない。
まあ、西洋人特有の、日本刀に対する畏怖というか、過剰な認識はあるが、
日本人だって、ルパン三世の五右衛門を平気で見ているのだから、いいのだろう。
コン・リー演じる日本人のレディ・ムラサキも、
フェンディの際どいドレスで魅せる、ぷんぷんのお色気はともかく、
日本人の目から見ても、映画の雰囲気を削ぐような誤解はあまり感じられない。
普通に映画として観るなら、それなりに楽しめる作品であるといっていい。
だが、それはあくまでフツーの映画として観た場合。
「羊たちの沈黙」に始まり、「ハンニバル」「レッド・ドラゴン」(時系列はバラバラだが…)という、
シリーズ内に位置付けた場合、作品のスケール、質感とも物足りなさが際立つ。
このシリーズにおいて、常に基準となるのはジョナサン・デミのマスターピース「羊たちの沈黙」になる。
「ハンニバル」においては、巨匠リドリー・スコットも奮闘したとは思うが、
あの原作の圧倒的な凶暴さ、そして壮麗さを表現し切るにはいたらなかった。
その点「レッド・ドラゴン」のブレット・ラトナーは、演技や質感などのクオリティーは保ちつつも、
エンタテインメントとしての側面を強調し、原作とは違う風合いながら、面白い作品を作りあげた。
この作品の場合、原作そのものが、まるでノベライズのような代物ではあった。
あの、どこか薄っぺらい原作から考えると、まずまず健闘した方なのだろうが、
やはり〝怪物〟誕生の恐るべき秘密、というには、重さも、深みも、衝撃度もいずれも足りない。
むしろ、ムラサキ=コン・リーとの、ほのめかすような官能を強調した方が、
よほど楽しめたはず、といってしまったら、言い過ぎかもしれないが…
ただ、なんて書くといったい何度目の逆接になるかわからないが、
アンソニー・ホプキンス抜きのハンニバル・レクター・シリーズなら、こんなものなのかもしれない。
始めから過剰な期待をすることもないし、それを基準に評価するのもおとなげない気もする。
だとすれば、結局は作品を語り始めた最初に戻って、
〝それなりの映画〟ということでまとめるのが、
案外(個人的にも)妥当な落としどころなのかもしれない。