TOHOシネマズなんばで「ハンニバル・ライジング」

mike-cat2007-04-25



レクター博士「誕生」に秘められた謎が今、解き明かされる!〟
「羊たちの沈黙」ハンニバル・レクターの幼少期から、
青年期まで成長を描いた、待望の最新作にして、
シリーズのいわば〝エピソードⅠ〟に当たる原点でもある。
原作者のトマス・ハリスが脚本をみずから担当、
「真珠の耳飾りの少女」のピーター・ウェバーがメガホンを取り、
映画史上に残る〝怪物〟誕生までの軌跡を描く。
主演は「ロング・エンゲージメント」ギャスパー・ウリエル
共演にコン・リー「始皇帝暗殺」「マイアミ・バイス」)と、
リス・エヴァンズ「ヒューマン・ネイチュア」「ノッティングヒルの恋人」)。


第二次大戦末期のリトアニア
ナチス・ドイツの進撃で、領主でもある両親を失った6歳のハンニバルは、
取り残された幼い妹ミーシャとともに、ナチスの自発的協力者〝ヒヴィ〟に囚われた。
戦渦による深刻な食糧不足に苦しんだヒヴィたちは、肺炎気味のミーシャを…
そして8年後、レクター城は養育施設となり、青年ハンニバルを収容していた。
母の形見の手紙で叔父の住所を知ったハンニバルは、一躍パリへ…
そこで待っていたのは、叔父の妻であるレディ・ムラサキ。
それはハンニバルの人間形成に大きな影響を与える、運命の出会いだった―


出来としては悪くない。
ギャスパー・ウリエルのオーバーアクトはやや気になるところではあるが、
まあ〝ハニバル・ザ・カニバル〟にだって若気の至りはあるはずだ。
それだけをとって、ダメ出しをしていたら、どんな映画だって駄作になってしまう。
全体的なストーリーのテンポはそう悪くないし、見せ場もある。
ミーシャを文字通り〝食い物にした〟一味に対する復讐劇と、
叔母であり、憧れの人でもあったレディ・ムラサキとの淡く、切ない悲恋。
ストーリーの核をこの2点に絞り込んだため、単体の映画としてはまとまりもある。


一方、こうした映画で描かれる〝日本〟というのは、様々な意味で誤解に満ちた、
トホホなものが多いのだが、さすがトマス・ハリスといったところか、そこまでヘンじゃない。
まあ、西洋人特有の、日本刀に対する畏怖というか、過剰な認識はあるが、
日本人だって、ルパン三世の五右衛門を平気で見ているのだから、いいのだろう。
コン・リー演じる日本人のレディ・ムラサキも、
フェンディの際どいドレスで魅せる、ぷんぷんのお色気はともかく、
日本人の目から見ても、映画の雰囲気を削ぐような誤解はあまり感じられない。
普通に映画として観るなら、それなりに楽しめる作品であるといっていい。


だが、それはあくまでフツーの映画として観た場合。
羊たちの沈黙」に始まり、「ハンニバル」「レッド・ドラゴン」(時系列はバラバラだが…)という、
シリーズ内に位置付けた場合、作品のスケール、質感とも物足りなさが際立つ。
このシリーズにおいて、常に基準となるのはジョナサン・デミのマスターピース羊たちの沈黙」になる。
ハンニバル」においては、巨匠リドリー・スコットも奮闘したとは思うが、
あの原作の圧倒的な凶暴さ、そして壮麗さを表現し切るにはいたらなかった。
その点「レッド・ドラゴン」のブレット・ラトナーは、演技や質感などのクオリティーは保ちつつも、
エンタテインメントとしての側面を強調し、原作とは違う風合いながら、面白い作品を作りあげた。


この作品の場合、原作そのものが、まるでノベライズのような代物ではあった。
あの、どこか薄っぺらい原作から考えると、まずまず健闘した方なのだろうが、
やはり〝怪物〟誕生の恐るべき秘密、というには、重さも、深みも、衝撃度もいずれも足りない。
むしろ、ムラサキ=コン・リーとの、ほのめかすような官能を強調した方が、
よほど楽しめたはず、といってしまったら、言い過ぎかもしれないが…


ただ、なんて書くといったい何度目の逆接になるかわからないが、
アンソニー・ホプキンス抜きのハンニバル・レクター・シリーズなら、こんなものなのかもしれない。
始めから過剰な期待をすることもないし、それを基準に評価するのもおとなげない気もする。
だとすれば、結局は作品を語り始めた最初に戻って、
〝それなりの映画〟ということでまとめるのが、
案外(個人的にも)妥当な落としどころなのかもしれない。