絲山秋子「エスケイプ/アブセント」

mike-cat2006-12-22



沖で待つ」「海の仙人 (新潮文庫)」の絲山秋子、待望の最新作。
〝闘争と潜伏の20年から目覚めた「おれ」。
 人生は、まだたっぷりと残っている−。
 気鋭の見事な到達点、響きあう二編の傑作小説。〟
時代に取り残された〝おれ〟の奇妙な京都の旅。
〝悪いな、おれは必死だよ。
 でも必死って祈ることに少しは似てないか。〟
自らの魂に、そして神に問い掛け、人生を振り返る。


まずは中編の「エスケイプ」。
人生なかばにして、ようやく闘争をあきらめた〝おれ〟江坂正臣。
人生ゲームの札束を燃やし、打倒資本主義が芽生えたこども時代、
そして、革命を目指し、闘争を目指し、生きてきた20年。
だが、それはかなわず、時代はすっかり変わった。
〝おれは人生をだめにした。
 だけど、中年からだってまだ人生はたっぷり残っている。
 こいつがなかなか難義だ。若いときはそんなこと考えてなかったからね〟
そんな〝おれ〟が夜行列車で向かったのは、因縁浅からぬ京都。
そんな〝おれ〟と、旅先で出会ったバンジャマンら風変わりな連中との交流を描く。


不惑にさしかかり、ますます惑う40歳は思う。
〝そりゃあいい気分だったぜ。
 自由を勝ち取ろうなんて言うのをやめた瞬間自由になっちまったんだもの。〟
20年を完全否定したかのような、気の抜けた物言い。
そんな〝おれ〟のしまらなさが、何ともいい味を醸し出すのだ。


そんな〝おれ〟が「エスケイプ」、つまりバックレをかます
誰も知らない、どこでもない場所へ。
〝おれがここにいることを誰も知らない。
 なにかそれが特別なことのように思える。
 おれも誰のことも知らない。今誰がどこで何をしていようが5W1H何も知らない。
 (それが旅か)
 それが旅だ。
 (それが人生か)
 や、違うと思うな。〟
だが、旅の行く先は、比較的軽い理由で京都になってしまう。


そこで出会うのは、長年探し求めていた幻のレコード。
エスケイプ/ジョディ・ハリス、ロバート・クイン」。そして〝壊れた自由〟。
実際、手にしてみると「こんなものか」と、何とも心もとない。
そして〝おれ〟は神と向き合い、脳内対話する。
祈りとは何か、神と人はどう対峙するのか。
答えの出ない対話が、不思議な余韻を残すのだ。


そして対をなす短編「アブセント」。
こちらは〝消えた男〟の江崎和臣。正臣の双子の弟だ。
〝このまま帰らなかったら、どーなんだろーな〟
舞台は博多。物語は、こんなつぶやきから始まる。
〝このまま帰らなかったら、と考えることは彼の日課で、
 十八歳で仙台を出て以来、一日も欠かしたことがない。〟


こども時代は、透明人間ごっこが大好きだったという和臣。
美樹との結婚式話が進行する中、古い友人の訃報で京都に向かう。
自分はどこにいるのか、いないのか。
宙ぶらりんな気持ちを抱え、京都を歩く。
〝移動している今、自分はどこの街にもいない。
 どこへ向かっているのかなんて関係ない。
 当たり前のことだが、人間は同時に二カ所にいることはできない。
 いつもどっちかが空席になってしまう。
 子供のときは、その空席には同じ顔をした双子の兄が座っていた。
 一人で二人分の嘘をつき、二人で一人分の言い訳をした。〟
兄の不在、自分自身の不在、息苦しくなるような感覚が何とも切ない。


以上2編。
たとえるなら、「イッツ・オンリー・トーク (文春文庫)」の猥雑さを、
切れ味鋭い剃刀で切り出したかのような印象、といったところか。
行き場のない焦燥感や浮遊感が、切ないユーモアに隠された作品だ。
いかにも絲山秋子らしい、という語り口とは微妙に違う感じもあるが、
そのテイストはやはりこれまでのものと共通する、不思議な感覚だ。
薄おぼろげな表紙も含め、不安を楽しむ小説、なのかもしれない。
そんな、奇妙な後味を残したまま、物語は消えていくのだった。


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エスケイプ アブセント
糸山 秋子著
新潮社 (2006.12)
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