D.W.バッファ「聖林(ハリウッド)殺人事件 (文春文庫)」
〝虚栄の都ハリウッドでは殺人事件すらも泡影と化すのか〟
最近めっきり刊行が減ったリーガル・サスペンスの秀作シリーズ、
「弁護 (文春文庫)」「訴追 (文春文庫)」のアントネッリ弁護士の最新作だ。
前作「遺産 (文春文庫)」では、政治の世界に巻き込まれたアントネッリが、
今回は虚飾にまみれた映画の都で起こった殺人事件を手がける。
敗色濃厚な数々の裁判を、逆転に導いてきた〝負けない弁護士〟
ジョーゼフ・アントネッリのもとに、またも新しい依頼が飛び込んだ。
首を絞められた上に、のどを掻き切られ、自宅プールに浮かんだ被害者は、
オスカー女優にしてトップスターの、メアリー・マーガレット・フランダーズ。
容疑者は、監督兼プロデューサーで夫のスタンリー・ロス。
メディアの喧噪、十分すぎるほどの状況証拠、
圧倒的に不利な状況にあっても、映画のことしか頭にない依頼人。
果たしてアントネッリは、判決を無罪に持ち込むことができるのか−
すっかり政治サスペンスになってしまっていた前作のこともあり、
不安もちょっとあったのだが、読み始めるとそれが杞憂に過ぎないことに気付く。
ハリウッドという特殊な世界を舞台に、謎の事件と奇妙な依頼人、
そして変人判事などなど、異色の要素は盛り込まれているが、
リーガル・サスペンスのツボもしっかり抑えた、良質の作品に仕上がっている。
何よりも興味深いのは、映画のことにしか頭にない依頼人だろう。
殺人の容疑者となってしまっても、気になるのは映画の製作のことばかり。
保釈されると、アントネッリとの打ち合わせもそこそこに、
自ら所有するスタジオの問題解決と、映画製作に没頭する。
芸術家タイプというより、むしろ
〝誰もが見たがる普遍的な作品をつくるこつを人一倍よく心得た〟監督だが、
そのさじ加減の見事さが受け、自ら立ち上げたスタジオを一気に成長させた。
そんなハリウッドの大立者、ロスだから、とことんアントネッリを悩ませる。
〝彼は常識の通用しない男だった。
すべてが映画であり、すべてがなんらかの演技なのだ。
わたしが銃を突きつけたところで、
どうかまえさせたらもっと真に迫って見えるだろうか、 と彼は考えるだけだった。〟
映画の世界に舞い込み、幻惑されたのように、
アントネッリの弁舌にも微妙な変化が現れ始める。
見えてこない真相、迷走する審理、そして法廷外での数々のトラブル…
終盤一気に加速する物語は、まさかの展開、そして複雑な余韻を残すラストに至る。
ハリウッドの映画ビジネスにも深い造詣が感じられる、見事な舞台設定といい、
とにかくさすが、としかいいようのない、シリーズ屈指の傑作といっていいだろう。
前作で感じた物足りなさを補って余りある、魅力にあふれた作品だ。
二宮馨(マキャモン「少年時代〈上〉 (ヴィレッジブックス)」「少年時代〈下〉 (ヴィレッジブックス)」)による訳も読みやすく、
リーガル・サスペンスのファンなら、欠かすことのできない1冊となりそうだ。