ガブリエル・ガルシア=マルケス「コレラの時代の愛」

mike-cat2006-11-05



新潮社「ガルシア=マルケス全小説」の第2回配本。
わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))」を買おうと書店に行ったら、
発見し、ついつい〝新しい方〟を買ってしまったという次第。
〝51年9カ月と4日、男は女を待ち続けていた…。〟
コレラが猛威をふるい、内戦に明け暮れた時代の、
コロンビアの地方都市を舞台に、数奇な運命をたどったふたりを描く。
〝愛が愛であること。
 その限界にまで、かくも細緻、かくも壮大に挑んだ長編。
 満を持して、いよいよ日本に上陸。〟


コロンビア共和国の独立から間もない19世紀末。
「千日戦争」といわれた内戦に国土は荒れ、街にはコレラが流行していた時代。
コロンビアの地方都市に生まれたふたりの男女。
水運業を営む男の庶子として生まれたフロレンティーノ・アリーサは、
街で見かけたひとりの少女の姿にくぎづけになる。
それは、〝運命の人〟フェルミーナ・ダーサとの、長い物語の始まりだった。
72歳になった彼女の夫が不慮の事故で逝ったとき、
76歳を迎えていた男はついに愛を告げることになる−。


あらすじはこう書いては見たものの、単なるラブストーリーと思ったら大間違いだ。
ふたりがすれ違い、フロレンティーノ・アリーサが思いを募らせた50数年は、
あくまでも、この壮大な物語の縦軸でしかない。
あの「百年の孤独」と同様、遅々として進まない物語を彩る、
さまざまな寄り道、というか、物語の広がりこそが、この小説の味わいである。
コレラや内戦に苦しめられた人々の苦悩であったり、
マグダレーナ川を行き来する蒸気船の光景が年月によって変化する姿であったり、
フロレンティーノ・アリーサが(なぜか)経営してしまう娼館などの風俗であったり…
小説は、ふたりの軌跡を通じて、時代そのものを映し出す、クロニクルでもあるのだ。


51年待ち続けた男、については、何とも微妙な面もある。
フェルミーナ・ダーサにフラれたこの男、
別にただただ待ち続けた、というわけではないのである。
普通〝待ち続けた〟といえば、高潔でストイックな印象を受けるが、
そこら中の未亡人に手を出してみるは、
ふとしたきっかけから娼館は経営してしまう(娼婦には手を出していない)は、
しまいには、70歳を越えてから(何と!)14歳の娘に手を出すという鬼畜ぶり。


それでも、彼的には〝一度も過ちを犯さなかった〟という、
摩訶不思議な信念というか、思い込みをしているのが何とも滑稽だ。
よくある言い訳ではなく、本気でそう思っているところが、常人とは違う。
だからこそ、やることはしっかりやっておきながら、
51年の時を越え、愛を告げるときには〝待っていた〟と心から思うことができるのだ。
しかし、読む方としたら、もう笑ってしまうしかない。
オビを見て、〝崇高な愛〟を期待していたら、
とてもじゃないが憤慨せずにはいられないだろうな、とも思ってしまう。


ただ、最初にも書いた通り、この小説の味わいは、
このふたりを通じて描かれる、かつてのラテンアメリカの姿である。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラとする、
気まぐれで壮大な物語の流れに身を任せ、その時代を旅するのがまた楽しい。
そんな時代の記憶を乗せ、蒸気船が旅立ったとき、
何ともいいようがない感慨で、胸がいっぱいになってしまうのだ。
傑作か、といわれると、正直答えに苦しむ部分もあるのだが、
おそらく忘れ難い、不思議な余韻を残す作品であることは間違いない。
この「ガルシア=マルケス全小説」、ちょっとはまってしまうかもしれない…


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コレラの時代の愛
G.ガルシア=マルケス著 / 木村 栄一訳
新潮社 (2006.10)
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