有川浩「レインツリーの国」

mike-cat2006-10-15



図書館内乱」で登場した架空の小説を、
何と著者自らが手がけたという、スピンオフ小説だ。
〝きっかけは「忘れられない本」 そこから始まったメールの交換。〟
「あなたを想う。心が揺れる。
 でも、会うことはできません。ごめんなさい。」
〝かたくなに会うのを拒む彼女には、ある理由があった−。〟


「図書館内乱」から流れてくる読者も多いと思うので、
別にネタバレでもないかな、と勝手に判断し、書いてしまうと、
彼女、〝ひとみ〟が会わない理由は、そう、聴覚障害というやつである。
そして、彼女の作ったブログ「レインツリーの国」は、
〝誰にもハンデを気にすることなく、自分の言葉で自分の思ったことを語って、
 耳のことで誰にも憐れむでもなく卑屈になるでもなく。〟
彼女が彼女らしく振る舞うための、小さな王国でもあった。
その〝王国〟へ、10年前に読んだライトノベル「フェアリーゲーム」の結末に、
割り切れぬ想いを抱き続けていた向坂伸行が、この本の感想を求め、訪れたのだった。


聴覚障害を隠して、一回限りの逢瀬を何とか乗り切ろうとした〝ひとみ〟。
その障害に気付かないまま、傷つけるような言葉を吐いてしまう伸行。
聴覚障害をめぐる、さまざまな問題が、ふたりの時間にのしかかる。
甘い甘いメールのやりとりと対照的な、その傷つけあうような時間は、
そのまま、聴覚障害者の抱える苦悩、そして社会における疎外を感じさせる。
最近読んだばかりの、コンピュータ制御の内耳で聴覚を取り戻した、
男性によるノンフィクション「サイボーグとして生きる」にもダブるのだが、
聴覚障害でひとくくりにされてしまう聾唖者や難聴者、
先天性や後天性の区別も含め、いわゆる〝健聴者〟には知り得ない苦労は多いという。


一方で、〝ひとみ〟の方も、障害の殻に閉じこもり、
「どうせ健聴者にはわからない」という思考停止に度々陥ってしまう。
もともとの面倒くさい性格に、障害がもたらす苦労が輪をかける。
障害に関わる拗ねや、頑なさの描写や、それに関わるエピソードが、
ちょっと不自然にクドい気もしないでもないが、そのメッセージは好感が持てる。
テレビドラマでよくある、障害者は誰でも〝心がきれい〟〝人間ができている〟的な、
勝手な思い込み、そして押しつけ的な〝障害者観〟は、そこには感じられないのだ。


時には辛辣な言葉を投げ掛け合いながら、
お互いを、そして自分自身を理解していくふたり。
小説内でも出てくる〝青春菌〟に感染しているふたりの恋愛模様は、
どこまでも甘くはあるのだが、その青臭さには、なぜか惹かれてしまう。
〝愛があれば…〟的なハッピーエンドとは、一線を画した現実的なラストもいい。
ふたりがこの物語の後にたどる結末が、たとえ満額回答(何じゃそりゃ…)じゃなくても、
この小説の中でふたりがたどった軌跡は、何ものにも変えがたい価値があるのだ。


甘い甘い物語にいつの間にか引きずり込まれ、本を読み終える。
なるほど、あの「図書館内乱」で感じた、さまざまな想いが甦る。
企画としての面白さだけに終わらない、奥行きのある物語世界が広がってくるのだ。


そんなわけで大満足の1冊だったのだが、気になることもひとつ。
「フェアリーゲーム」の方は、これまたスピンオフするのだろうか?
シリーズもの、とのことだから何とも微妙かもしれないが、
それもアリかな、なんて思ってしまったのだった。(ま、誰もが考えそうなことだが…)


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レインツリーの国
有川 浩著
新潮社 (2006.9)
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