東野圭吾「殺人の門 (角川文庫)」

mike-cat2006-08-27



前週までの疲れがいまだに抜けない。
ようやく休みも取れて、時間はできたけれど、本が進まない。
文字を認識はしているはずなのだが、情報として入ってこないのだ。
そんなわけで、読みかけのシャーリイ・ジャクソン「くじ (異色作家短篇集)」を置き、
題材的にはともかく、読みやすさでは間違いなく屈指の東野圭吾に目移りする。


〝あいつを殺したい。でも、私には殺せない。
 誰しもが心に抱く「殺人願望」。その深層をえぐり出す、衝撃の問題作!〟
〝誰しもが心に抱く〟なんて書いてしまっていいのか、
だいぶ悩ましいトコだが、そこらへんはまあ流して、スイスイと読み進める。


歯医者を営む裕福な家庭に生まれた〝私〟田島和幸。
だが、そんな生活も、病に伏せっていた祖母の死をきっかけに崩壊する。
母による毒殺の噂、そして両親の離婚、銀座の女に入れ上げる父…
そんな時に届いた「呪いの手紙」。
その影には小学校のクラスメート、倉持修が見え隠れしていた
人生の転機に現れては、何度となく〝私〟を窮地に陥れる倉持への憎しみは、
いつしか殺意へと変わっていくのだった。


この小説、もちろん一大テーマは、
「殺人者への門」をくぐることができるか、どうやったらくぐれるのか、にある。
幼少の頃の思い出から、〝私〟の死生観、そして殺人に対する価値観が描写される。
祖母の葬儀の場で、大人たちが見せた、さほど暗くない表情から、
死の重みをつかみ損ねた〝私〟の頭の中は、母による毒殺の噂でいっぱいだった。
〝むしろこの時の私の心をとらえていたのは、
 人を殺すというのはどういうものだろうという興味のほうだった。
 母はどんな思いで祖母に毒を飲ませていたのだろう。
 そして企みがうまく達成できた時の喜びはどんなものだろう〟


そんな思いに駆られた少年はいつしか、自分の大事なものを再三踏みにじってきた、
人生の宿敵ともいえる幼馴染みへの憎しみに身を焦がすことになる。
だが、〝私〟はその、あと一歩をどうしても踏み出すことができない。
〝だがその思いはいつも想像だけで終わった。
 行動を起こすほどには殺意は沸き立ってこなかった。
 子供の頃から殺人には興味がある。さらには自分には倉持を殺す理由がある。
 それなのになぜ憎しみが殺意にまで至らないのか〟


考えてみれば当たり前ともいえるだろう。
まあ一般的な生活を営む人間にとって、
〝死んでしまえばいいのに〟と思うような人間なんて、そうは簡単に現れないし、
ましてやそれが、〝殺してやりたい〟に移行するには、かなり高い壁が存在する。
そして、まだ考えるうちはまあ自由といえば、自由である。代償も要らない。
その気持ちを実際の行動に移すとなれば、さまざまな影響が付随してくる。
まあ、10年もすれば出所できるようなユルい刑法である以上、
実はその障壁は考えているよりもずっと低いのかも知れないが、
やっぱり、最後のあと一歩はそう簡単に踏み出せるものではないのである。


しかし、この小説の味わいは、そんなことを延々と語りたてるところにはない。
この〝私〟を陥れる倉持が次々と手を染める商売の数々、
それに疑いを抱きながらもまんまと騙されていく〝私〟が何とも情けなく、そして哀しいのだ。
豊田商事を思わせる金商法や、数々のマルチ商法を思わせる宝石販売、
そして投資コンサルタントと、次々と客を、そして〝私〟を騙していく倉持。
ついには、とんでもない奥の手まで使い、〝私〟を陥れていく。
〝私〟のマヌケぶりもさることながら、この倉持のどす黒い衝動が、とても興味深い。
昭和のインチキ商売大全みたいなディテイルもとことん読ませるし、
ここにこそ、この小説の醍醐味があるといっても過言ではない。


殺人者の門どうこうは何だかうやむやになってしまった気はするが、
結局、そんなこんなで読み応えは十分の、
いかにも東野圭吾らしい、クオリティの高さを感じさせる1冊。
疲れていた頭も、ちょっとリフレッシュされたような気分になったのだった。


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殺人の門
殺人の門
posted with 簡単リンクくん at 2006. 8.29
東野 圭吾〔著〕
角川書店 (2006.6)
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