あさのあつこ「ありふれた風景画」

mike-cat2006-08-15



〝十代って残酷な年代だ。
 出会いも別れも生々しく、儚い。〟
〝ウリをやっていると噂される瑠璃。
 美貌の持ち主で特異な能力をもつ周子。
 傷つき、もがきながら、生きる少女たちの
 一年間を描くみずみずしい青春小説。〟


あさのあつこの最新作は、
堅苦しく、閉鎖的な片田舎の高校を舞台に、2人の少女の夏を描く。
〝もうすぐ十七歳を迎える瑠璃の夏が、
 一生に一度きりしかない十七歳の夏が眩しさの中で始まろうとしていた。〟
瑞々しくて美しく、切なくて残酷な10代の、
痛々しいまでのまっすぐさや傷つきやすさが、鮮烈に描かれる。


とにかく、読んでいる間中キュンとなりっぱなしの小説で、
こころに残る場面を数え上げたら、きりがないほどなのだが、
瑠璃と周子の、お互いの印象を描写した場面がとても素敵だ。
鴉を友だちに持ち、呪われている、との噂の周子を、瑠璃が見つめる。
〝美しい人だった。
 美女だとか、愛らしいとか、顔立ちが整っているとか、
 そんなありふれた形容の枠外にある美しさだ。
 例えば光を弾く水面、例えば夕暮れの空の色、例えば陽光直下の爛漫の桜。
 そんなものを無意識に連想させられる。〟


無責任な噂を流されているのは、瑠璃も同じだ。そんな瑠璃を周子はこう見る。
〝無駄のない人だ。
 周子は一歩前を行く瑠璃の肩から腰にかけて視線を走らせる。
 無駄のない人だ。余計なものがくっついていない。
 贅肉をそぎ落とし、最小限必要なものだけを身に纏っている。そんな感じがする。
 それは肉体だけに留まらず、深く精神の部分にまで及んでいる。
 装飾も贅も否応なく拒んでしまう心のあり方が沁みるように感じられる。〟
異質なものを受け容れられない、
せまいムラ社会で浮き上がる2人の鋭く、繊細な感受性が読み取れる。


そんな2人のまわりでは、さまざまな事件が起こる。
あまりに突然告げられた別れに、無防備に傷つけられる少年の感傷、
搦めとろうとする親の寵愛を、いまいましく思いながらも振り切れない姉の苦悩…
時に信じていたものに裏切られ、時に悪意から逃れて殻に閉じこもる。
瑠璃が、そして周子がのこころに浮かぶ想いが、読む者のこころを強く惹きつける。
2人が微妙に達観しすぎているような部分も感じられるし、
もっともっと十代って、はたから見たらみっともない気はするのだが、
まあそれはそれ、美しい十代もあれば、みっともない10代もあるということだろう。


そんな十代を想う、瑠璃の独白が、
〝オビにもある〝十代って残酷な時間なんだ。〟である。
卒業、そして進学という人生の転機が、すさまじいスピードで訪れるのだ。
〝否応なくすべてが変わっていく。変わらされてしまう。
 留まることは許されず、立ち止まることも許されない。
 ただ前へ、前へ、先へ、先へと進むだけだ。急流に浮かぶ小舟みたいだ。
 十代ほど、たくさんの人に出会い、たくさんの人と別れる時代はないような気がする。〟
でも、そんな時、ちょっと立ち止まってみる。
せわしなく過ぎ去る毎日を、そして一瞬一瞬を想う。
〝いつの日か、十代のこの夜のこの会話を思い出し、微笑むことがあるだろうか。
 そのとき、すぐ傍らにあなたがいてくれたら、すてきだと思う。〟
こんな想いを抱けるような青春、思わず「いいなあ…」と、うっとりする瞬間だ。


主人公とまるまる同年代の少年少女が読んで、
同じ気持ちを抱くかどうかはやや疑問ではあるのだが、
その青春が、とうの昔に過ぎ去ってしまった30代後半の身には、とてもグッとくる作品だ。
淡いけど、どこか忘れ難い余韻を残すラストもいい。
体験したはずもない〝あの頃〟まで思い出し、涙ももれそうになってしまったのだった。


Amazon.co.jpありふれた風景画


bk1オンライン書店ビーケーワン)↓

ありふれた風景画
あさの あつこ著
文芸春秋 (2006.8)
通常24時間以内に発送します。