平安寿子「あなたにもできる悪いこと」
〝「愛の力で社会を変える」?
そんなことってあるのでしょうか。〟
〝偽善も保身もかる〜く笑う、
平安寿子版・痛快悪漢小説<ピカレスク>の誕生!〟
というわけで、平安寿子の最新作は、
口先一つで世を渡り歩くスーパーセールスマン(自称)にして、
小口の強請と地道なカツアゲを繰り返す男を主人公にした、連作だ。
檜垣洋三は、40を前にしたフリーのセールスマン。
口人好きのする容貌、臨機応変なトークを武器に、
あちらこちらで化粧品に健康食品、健康器具などを売り歩く。
だが、ある事件をきっかけに知り合った、無愛想な女、
里奈とともに地道なカツアゲに手を染める。
〝財産を巡っていがみ合う家族。
不倫と公費着服の事実を隠蔽したい教師。
NGOを踏み台に野心を遂げようとする自称善意の実践者。
宗教の教祖を語って私腹を肥やそうとたくらむコンサルタント。
票集めのために飛び交う裏金をかすめ取るのが生き甲斐の選挙参謀。
檜垣と里奈は、欲の赴くままに進もうとする彼らの前に
両手を広げて通せんぼし、あめ玉一個程度の通行料を可愛く徴収〟するのだった−
コン・ゲームというほど凝った仕掛けを演じるわけではないし、
ピカレスクというほど、悪に染まった人物が登場するわけでもない。
内輪で穏便にすませたい関係者の思惑につけこみ、小金をせしめる。
檜垣と里奈が狙うのは、あくまで小口の〝商売〟だ。
〝一獲千金は望まない。できる範囲でコツコツと。捕まらないように気をつけて。
それがモットーの地道なカツアゲで、細々、健気にしのいできた弱小市民である〟
ネットやIT、マネーゲームのような、〝顔のない詐欺〟とも縁はない。
檜垣の武器は、あくまで機転とトーク。
〝舌先三寸で箸にも棒にもかからないバッタモンを高値で売りつけ、
あとで舌を出すというアナログ商売が好きなのだ。昔気質の職人肌と申しましょうか。〟
だから、その手口には、どこか人間くささがにじみ出る。
当然、憎めない小悪党だから、いつもいつも大成功といかないのもいい。
檜垣たちが強請る相手も、いかにも平安寿子らしい、味わい深いくせ者ばかり。
セクハラ爺さんとその家族を強請る冒頭の1編「金が天下を回るから」なんかは、
デビュー短編集の「」の表題作を思わせる鮮烈さと切れを感じさせる。
檜垣のキャラクターもいい。
冒頭、言葉巧みに訪問販売でもろもろを売りつける場面での独り言だ。
〝欲の深い女と関わると、ろくなことはない。
そして桧垣の見るところ、女という生き物は例外なく欲が深い。
それを知っているから、檜垣は女相手のセールスが得意なのだ〟
これだけ聞くと、まるで女嫌いのように聞こえるが、全然そんなことはない。
そんな女の欲深さをこよなく愛しているし、それにちゃっかりつけ込む。
8歳上、46歳の女のもとに転がり込んでみたりもする。
〝檜垣の過去の女史上今のところ最年長である。
経験してみれば、ゆるみたるみ具合がなかなかオツで、
このぶんだと五十代の女もいけるかもしれないと発見した。
守備範囲は広いに限る。食いっぱぐれがない。〟
もちろん、そのゆるみたるみ具合に関する好みはひとそれぞれだが、
このへなちょこぶり、つくづく小悪党がお似合いの好キャラクターだ。
このへなちょこぶりも相まって、1編1編のお話はけっこうさらりとしている。
手にした金額が少なくても、さらにがめつく稼ごうと食らいつくわけでもない。
勝ったんだか、負けたんだか、
よくわからないまま封筒を手にすごすごと帰ることもある。
だが、それが連作として並べられると、その潔さが際立ってくる。
さわやかさ、まではいかないが、「まあ、それもいいかな」みたいな柔らかさ。
悪漢小説を名乗りながら、読み終えるとふんわりした気分になる。
そんな、ちょっと不思議な風合いの小説だったと思う。