タラス・グレスコー「悪魔のピクニック―世界中の「禁断の果実」を食べ歩く」

mike-cat2006-08-08



〝コカ茶 葉巻 密造酒 チョコレート ポピーシード 生乳チーズ〟
〝食べるなと言われると、食べたくなる〟
 誰がどうして禁止したのか?
 食を通じて、人間の欲望と社会・政治のかかわりを解き明かす。〟
カナダのトラベルライターによる、
世界の「禁断の果実」をめぐる旅のルポルタージュだ。


アペリティフからナイトキャップまでのフルコース仕立ての構成は、
バイキングの密造酒から、世界一くさいチーズ、
コカインの原料となるコカの葉などなど、バラエティに富んでいる。
その耳慣れない品々そのものもさることながら、
さまざまな理由で、禁止されたその〝果実〟に潜む背景が興味深い。
誰が、何のために、何を、どんな風に禁止したのか、そしてその結果は…
単に「そう決まっているから」で受け流していたことの裏側が見えてくる。


アペリティフ〟では、バイキングの密造酒「イェメベレント」を取り上げる。
平等主義者のユートピアにして、福祉大国のノルウェーのもうひとつの側面。
販売を極端に制限する厳しい飲酒法のもとで繰り広げられる、
ビンジ・ドリンキング(短時間の大量飲酒)の実態は、かなり意外な印象だ。


〝クラッカー〟には、ごくごく微量のモルヒネを含むポピーシード
シンガポールでは何と、マークス&スペンサーのクラッカーが禁止されているという。
理由は、厳しいドラッグ規制。
600箱を一気に食べ切って、効果が出るかどうか、というものでも厳しく取り締まる。
オーラルセックス、コインチョコ、自分のアパートの中を裸で歩き回る、
ゴミのポイ捨て、チューインガム…
管理社会の安全さの繭の中で、反抗心を忘れた国民。
あらゆる禁止法にも困っていない国民性が、何とも言えない感慨を呼び起こす。


〝チーズ〟では、世界一くさいチーズを取り上げる。
美食界のゴッドファーザー、ブリヤ=サヴァランに「チーズの王」といわしめた「エポワス」だ。
ブリー・ド・モー、ノルマンディー産のカマンベールが、
〝まるでビザのないイラク人のように厳しく入国を拒否される〟アメリカは、
マンハッタンのブロードウェイ80丁目、ゼイバーズを起点に、パリ郊外の村エポワスへ。
伝統的食材に、グローバリゼーションがもたらした影響がかいま見える。


〝メインコース〟では牛の睾丸料理を求め、スペイン・マドリッドを歩き回る。
イタリア・サルディーニャ島の、うじ虫だらけのチーズ、ペコリーノや、
フランス・ガスコーニュの、肛門から内臓をすする鳥料理などなど、
この章で紹介される〝他国から見たら不衛生で理解しがたく、
 あるいはただ単に気持ち悪い食習慣〟があまりにも強烈だ。
そして、ブリュッセルに本部を置く、EUの食品安全局(EFSA)と、
マドリッドのレストランの苛烈な攻防の数々…
何世紀も安全に食べられてきた伝統的な食品を否定しながら、
遺伝子組み換え食品やホルモン剤を与えた牛肉を肯定するアメリカの、
そのねじ曲がった食事情に悪寒すら覚えてしまう1章だ。


〝葉巻〟は、
フィデル・カストロお気に入りのキューバン・シガー、コイーバ・エスプレンディード。
ウィリアム・バロウズの「偽善とは最高の贅沢」との言葉を取り上げ、
タバコの害を警告しつつ、たばこ税をかき集める政府の姿など、
支配階級のダブルスタンダードを明らかにしていく。


〝食後酒〟は、「人を狂わせるから法律で禁止された」アブサンだ。
中でも聖杯とされる幻の逸品「ラ・ブルー」を探し求める旅路は、
フランスから、スイスのヴァル・ド・トラヴェールへと向かっていく。
強力なアルコール度数によるアルコール依存症をたてに、
ヨーロッパで禁止された背景に、ワイン業界の影が見え隠れする。


〝デザート〟は、ショコラ・ムース。
18世紀にかつてチョコレート業者が町の中心部から追放されたという
フランス南西部の小さな町バイヨンヌを拠点に、カカオの歴史をたどっていく。
〝社会の悪の烙印を押したものを見ると、
 そのもの自体の悪い点より、人々のおそれや偏見が見えてくる〟
この章でも、含蓄たっぷりの言葉が、重く、重く響いてくる。


〝ハーブ・ティー〟は、コカインの原料となるコカの葉とコカ茶。
海抜15000フィート(4000メートル)のボリビアの首都ラパスで、
伝統的なコカ飲用と、成分を抽出した化学物質コカインとの違いを実感する。
ハッパを噛んでアルカロイドを取り込む、
伝統的なコカ飲用がもたらす豊穣な時間が、たっぷりと描写され、
コカの葉の処理に必要な化学物質を持ち込みながら、
他国に枯葉剤を撒き、コカイン根絶を図るアメリカ政府の矛盾を暴く。


そして最後の〝ナイトキャップ〟は、ペントバルビタール・ナトリウム。
即効性の精神安定剤にして、人を即死させることができる〝死の薬〟だ。
ここでは、いわゆる安楽死、自殺ほう助とその宗教観を通じて、
個人の自由と政府のかかわりについて、考察を重ねていく。
スイスはチューリヒにおける、ヘロイン治療プログラムがもたらした結果が興味深い。
ただ、さすがにこの〝果実〟だけは試さなかったようだが…


そして、強烈そのものの旅路の果てにたどり着いたもの。
プロローグから引用する。
福祉国家の人々の忍耐、管理国家の人々の怒り、
 そして都会の人々の外来のものへのヒステリーに近い冷淡さ。
 外国の禁止法に生計の手段をおびやかされ、
 当惑しながら耐えている発展途上国の人々については言うまでもない。
 いつだってそうだろうが、世界を見て私の見方は変わった。
 私は法規制に賛同する自由主義者として旅を始めたかもしれないが、
 この旅の後には、特にドラッグについては、
 禁止法の実施について、もっとニュアンスのある考え方を持つようになった。〟
「禁断の果実」であるがゆえ、のさまざまな弊害が見えてくる。


いわゆる〝読む娯楽〟的な要素についてだけ評価すれば、
中盤以降、ややダレた印象も受ける部分は否定できないが、
その題材、そしてさまざまな考察は、読む者を惹きつけて止まない魅力に溢れている。
ほかの本ではちょっとお目にかかれない、
さまざまな「禁断の果実」の疑似体験も含め、相当に面白い1冊。
思わず「こんな旅、僕もしてみたい!」と、胸をときめかせてしまったのだった。


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悪魔のピクニック
タラス・グレスコー著 / 仁木 めぐみ訳
早川書房 (2006.7)
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