朱川湊人「赤々煉恋」

mike-cat2006-07-28



〝切望と悲哀、そして妄執…
 人間の欲望を赤裸々に描く〟
直木賞作家の新機軸
 切ない余韻の残る五つの物語〟
ということで、朱川湊人の最新作、である。


直木賞受賞作の「花まんま」「わくらば日記」などとは、ひと味違う味わいの短編集に仕上がっている。
新機軸を謳っている通り、これまで朱川湊人に顕著だった、
ノスタルジーと哀切をベースにしたベタな〝泣かせ〟よりむしろ、
乙一のような奇妙さや、独特の後味の悪さに近い印象が強い。
(もちろん、乙一の場合、ベタな泣かせもあるが)


ただ、乙一のレベルまでは達していない、というのが率直なところ。
奇妙は奇妙でも、こころにトゲが刺さるような余韻や、
どよんと気分が落ち込むような後味の悪さといった、強烈さはない。
乙一の「ZOO」が「何なんだ! これは」なら、
この作品は「何なんだろね… これは」という感じだろうか。


もちろん、意欲作だとは思う。
これまでも用いてきた亡霊や霊魂といった題材に加え、
ネクロフィリアや、アクロトモフィリアといった退廃のテイストも加えた。
だが、小説の中にも出てくる言葉だが、
それらの〝業〟というまでの深さは、正直なところ読み取れない。
あくまで、アクセサリーとしての小説の色合いや、
物珍しさ的な風合い以上には、感じられないのだ。


とはいえ、朱川湊人らしい巧みさは健在なの、
これまで通り、読ませる小説であることは間違いない。
〝泣かせ〟がないことで、期待の裏返しから、
肩透かしを感じているだけ、という風に考える方がフェアなのかも…。


「遺体写真師」は、長患いに苦しんだ、最愛の妹を失った姉の物語。
百合香の遺体を火葬することに、早苗は戸惑いを覚える。
そんな時、恋人の晴紀が聞きつけてきた、
まるで生きているような遺影を撮ってくれる、葬儀社の存在。


〝もちろん、それは虚しい慰めなのかもしれない。
 若くして逝った妹のためというより、
 遺された自分のための行為とわかっている。
 けれど、それでも−まもなく、この愛しい顔と体に
 永遠の決別をしなくてはならないのなら、
 たとえ紛い物であっても、美しい姿を残しておきたい。
 自分がそう願うのは、きっと愚かなことではないと思う。〟
そんな想いが裏切られたとき、さらなる恐怖が姉妹を襲う。


「レイニー・エレーン」は、あの東電OL殺人事件がモチーフ。
〝雨に日に彼女は帰ってくる。彼女を求める人のもとに〟
出会い系サイトでつながった佐原とありすが、渋谷・円山町でコトに及ぶ。
ありすがふと口にした、死んだ「円山町の女王」の話。
それは、佐原にとって思い出の人となった、理華のことだった。


理華の言葉が、ありすの口をついて出る。
〝アレはお祭り〟
出会い系サイトで出会い、逢瀬を重ねる佐原やありすも、
伝説の娼婦として、円山町の闇の中に消え去った理華も
〝ぱっとしない毎日の中に、“お祭り”を探し求めているのは同じだ。〟
そして、そのお祭りがクライマックスを迎えたとき−


「アタシの、いちばん、ほしいもの」は、街を彷徨うアタシの独白だ。
陰気な母に嫌気がさし、
外に出てみれば不思議な眼差しで見つめられる、アタシの秘密。
そんな〝アタシの一番ほしいもの〟
〝それは普通に生きているヒトならば、
 誰もが当たり前にもっているものだ。
 当たり前過ぎて、多分誰もが、その素晴らしさを忘れているものだ。〟
その、ほしいものを求めたアタシが迎える、哀しく、切ない結末が描かれる。


「私はフランセス」は、
不幸な過去を振り捨てた〝私〟から、
故郷の海辺の町でクラスメートだったあなたへの手紙の形で綴られる。
どうしても抜けなかった盗癖と、宗教漬けの家族から追放、
そして出会った最愛の人の秘密を知ったとき、新たな世界が開ける。


「いつか、静かの海に」は、東京の下町での三十年前の思い出。
月に帰りたい〝お姫さま〟には、不思議な秘密が宿っていた−。
ある意味では、この作品が一番朱川湊人っぽい感じかもしれない。
切なさと奇妙さが同居したような、静かな余韻が印象的だ。


というわけで、以上5編。
読んで損はない、とかいうのは憚られるし、
微妙な面も残すのだが、だからといって捨て置くには惜しい1冊だ。
〝泣かせ〟がないことさえ承知していれば、
読みやすい奇譚、という感じで、さらっと読むのも悪くないかもしれない。


Amazon.co.jp赤々煉恋

赤々煉恋
赤々煉恋
posted with 簡単リンクくん at 2006. 7.29
朱川 湊人著
東京創元社 (2006.7)
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