角田光代「夜をゆく飛行機」

mike-cat2006-07-26



先日読んだばかりの「ドラママチ」で、
個人的に見直し気運高まる角田光代の最新刊。
直木賞受賞後、初の長編ということになるそうだ。
〝どうしようもなく、家族は家族〟
〝うとましいけど憎めない 古ぼけてるから懐かしい
 変わらぬようで変わりゆく 谷島酒店一家のアルバム〟
下町の酒店の4姉妹を中心に、家族の情景を描く。


高級スーパー出店に脅える下町の酒屋、谷島酒店。
〝できた夫〟との結婚で駆け落ちの過去を帳消しにした長女・有子、
〝石になる〟を処世術に、いじめをかわす人生から一転、
気付いてみたら、なぜか新人賞作家になってしまった二女・寿子、
〝ファーストクラス〟の社会を夢見て、合コンに精を出す三女・素子、
そして、ちょっとした超能力の持ち主を自負する末っ子の〝私〟里々子。
そんな〝私〟は、姉たちの通った名門女子校をドロップアウト
生まれてこなかった弟にぴょん吉と名付け、空想の話し相手にしている。
平々凡々とした日常…
だが、寿子の文学賞受賞をきっかけに、
叔母のミハルに起きたある出来事、祖母の入院、
そして、有子の焼けぼっくいについてしまった小さな炎…
少しずつ、家族の形は変化してゆく−


ひとつひとつの事件、そして姉妹それぞれの向かう先は、
てんでばらばらに拡散していくような印象が強い。
引き込まれるようなエピソードの連続ながらも、
作品の中盤までは、どこかつかみどころがない感覚が続いていく。


だが、いくつかの事件を通し、すべてが変わる。
大事な話し相手だったはずの幻の弟〝ぴょん吉〟を、
記憶の底に葬ったとき、〝私〟ははたとあることに気付く。
寿子が小説でやりたかったこと。
変わらぬ日常を平々凡々につらつらと描くことで、
いまの家族の姿を永遠にとどめておきたい、という気持ちだった。


〝谷島家の時間を止めてみたかったんだ。
 だれもが年齢を重ねていかないアニメ番組だ。
 チャンネルを合わせればいつでもそこで滑稽な事件が起こり、
 時間内にそれは解決し、来週もまたおんなじことが起きる。
 そこでは、だれも出ていかずだれもいなくならない。〟
それは〝永遠のくりかえし〟であり、そこは〝中間みたいな場所〟である。
モザイクのような場面場面を散りばめた物語は、
気付くと寿子が描いた家族小説と、不思議なシンクロを見せるのだ。


里々子のキャラクターも味わい深い。
型通りの善意や正しさ、よさを素直に受け容れられない〝私〟
有子の夫のリョウスケと
、かつての駆け落ち相手〝的場のヤロー〟を比べる場面だ。
〝最初からリョウスケのことは嫌いだった。〟と、あっさり切り捨てる。


〝どこが嫌いなのかと訊かれても、うまく答えられる自信がない。
 リョウスケは、的場のヤローより数倍ちゃんとしている。〟
 リョウスケは、ごく常識的な人物なのである。
 穏和な性格、誰もがうらやむルックス、こざっぱりとした身なり…
だが〝そういう全部、なぜか私には気に入らないのだ。
 クッキーの型を思わせる。ハートとか星の、銀色の型だ。
 おうありたいというものを型にして、
 その型の中に手脚を縮め背を丸くしてぴったり閉じこもっている感じがする。〟


〝私〟は祖母の入院する病院の看護婦さんにも、複雑な感情を抱く。
〝きれいな人だった。タレントや女優にだってなれただろうに、
 この人は看護師を仕事に選んだのだと思うと、激しく嫌悪感を抱きそうになる。〟
世を拗ね、ひねくれた子供を思わせるような、感情が迸る。


だが、そんな批判は、そのまま自分にも当てはまるのだ。
得意の直感で、これと見込んだオトコから投げかけられる言葉は、
まるでやまびこのように、〝私〟の心に返ってくる。
こうして自分と向き合い、今までの〝私〟ではなくなる里々子。
良くも悪くも、変わって行かざるを得ない、時の流れが切ない。


本筋とは関係ないが、興味深い場面もある。
寿子の受賞パーティの場面だ。
受賞作掲載誌の書評を目にする〝私〟は違和感を覚える。
「ミニマルなディテイルを丁寧に〜」
「平凡な日常というもののダイナミズムを〜」
「執拗に描かれる物質は幻影としての巨塔を作り上げ〜」
〝は? 書いてあることの意味がわからない。これは日本語であるのに。〟
自身の受賞でも、こんなことがあったのだろうか。
文学賞の在り方を、強烈に皮肉ったような印象すら受けるのだ。


というわけで、「ドラママチ」に続いて、楽しめる作品だったと思う。
しばらく遠ざかっていたけど、もう一度再発掘&再読してみようかな、
と、大量の未読本を抱えているクセに、そんな事も思ってみたのだった。


Amazon.co.jp夜をゆく飛行機


夜をゆく飛行機
角田 光代著
中央公論新社 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。