チャールズ・ストロス「シンギュラリティ・スカイ (ハヤカワ文庫SF)」

mike-cat2006-07-24



〝英国SF界に新星登場!〟
〝究極のAIエシャトンの出現により
 地球総人口の9割が銀河各地に強制移民させられた
 シンギュラリティ後の宇宙を
 奔放な想像力と最新の科学知識で描く超話題作!〟


テクノロジーの発展から目を背けた新共和国の辺境ロヒャルツ・ワールド。
そこは、十八世紀社会を思わせる階級制度の存在する植民地。
そのノーヴィ・ペトログラードの石畳に携帯電話の雨が降り注ぐ。
「もしもし。わたしたちを楽しませてくれますか?」
住民の物語と引き換えに、3つの願いをかなえてくれる〝侵略者〟
新共和国はフェスティヴァルに対し宣戦布告、
革命の危機を迎えたロヒャルツ・ワールドに、宙軍艦隊を送り出す。
多少痴呆の入った提督は、エシャトンによって禁止された、
因果律侵犯〟(時間旅行)を犯し、事態の改善に乗り出す。
だが、艦隊には、ある機関から指令を受けた工作員たちが乗り込んでいた−


こうやって大まかな設定を書いているだけでも、
膨大な情報量になってしまうくらいの、緻密な世界観に象られている。
物理的なものならなんでもつくれる、
自己複製能力を持つナノアセンブラ工場〝コルヌコピア・マシン〟や、
アップロード、ダウンロードで簡単に再生できる意識、
つまり〝魂〟と言い換えてもいい自己存在の在り方など、
いかにもSFらしい世界観は、それ自体でも楽しめる。


だが、基本は、工作員マーティンと国連使節のレイチェルの冒険ロマンス。
それに、無能な宙軍や秘密警察、
ロヒャルツ・ワールドの住民たちが絡み合い、不思議な物語を奏でる。
難解な言葉には溢れているが、ストーリーのテンポは驚くくらいにいい。
まるでハードSFそのものの設定も、
イギリス人らしい乾いたユーモアに彩られ、
立派なエンタテインメントに仕上がっている。
大まかに世界観さえつかめれば、楽しめること請け合いだ。


まずは、耳慣れないシンギュラリティ〝Singularity〟という言葉。
研究社・新英和中辞典によれば、
「1.たぐいまれなこと、非凡 2.風変わり、奇妙(さ) 
 3.風変わりな点; 特(異)性 4.単独、単一」とある。
小説の中では、こう説明される。
〝変化率が指数関数的に高まって、急激に無限大に近づく歴史の転換点〟
つまり、ビッグEとも称されるA.I.エシャトンによる強制移民こそ、
この小説における、もっとも基本のシンギュラリティなのである。


地球の人口の90%を〝説明されていない理由から〟
強制移住させたエシャトンはその際、
〝その一部を民族的、心理的類縁性にもとづいて〟選り分けた。
そして新共和国は〝前世紀の心安らぐたしかさを渇望する
科学的技術拒絶派渡欧性主義者のごた混ぜからなっていた〟


だから、ロヒャルツ・ワールドや新共和国には、
フェスティヴァルの登場によって、新たなシンギュラリティが起きる。
突然、未知の科学技術が登場し、経済は破綻する。
そして、圧制下で支配されてきた人民が、突如自由を手にするのだ。
その、新共和国の慌てようが、
ある意味風刺として、ある意味コメディとして描かれる。


では、そのフェスティバルとは何者なのか?
〝かつては人類文明の一員だったフェスティヴァルは、
 旅する使節団、恒星間の文化情報交換の中心だった。
 最大の関心を抱いているのは他のアップロード文化だが、
 それが見つからなければなんでもかまわなかった。
 すでに千地球年にわたって人類居住地域を、
 周縁から内へとジグザグに進んでいた。
 歓迎されようがされまいが、訪問先で頼むことは決まっていた。
 楽しませてくれ!〟
船団の凍てついた〝精神核〟に〝真意識〟を取り込み、
コンタクトに成功すると、真意識をロードし、必要な施設を建造する。
実体を持たない意識が、
コンピューターに取り込まれて宇宙をめぐっている、という解釈でいいと思う。


この不可思議な新共和国と使節団の出会い、
そして、そこに関わる人々のドラマは、
500数ページのボリュームを感じさせないくらいスムーズに展開する。
何しろ、SFの読者としてはかなり初心者の僕ですら一気読みしたのだ。
複雑な余韻を残すラストといい、読み応えは十分。
まずは、騙されたと思って手に取って見てほしい。そんな作品だった。


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