米沢穂信「さよなら妖精 (創元推理文庫)」
〝「哲学的意味がありますか?」
彼女との偶然の出会いが、謎に満ちた日々への扉を開けた。〟
〝忘れ難い、出会いと祈りの物語。
「犬はどこだ」の著者の代表作!〟
ということで、文庫化された米沢穂信の〝出世作〟を手に取る。
時は1991年4月。藤柴市に長雨が降り続いた、あの春。
〝おれ〟守屋路行は、雨宿りをしていた少女に出逢う。
遠い国からきた、その少女の名前は、マーヤ。
日本のことを学ぶため、ユーゴスラビアからきたマーヤは、
〝おれ〟たちに対し、常に問いかけ続ける。「哲学的な意味はありますか?」
時まさに連邦解体の危機にあった母国へ戻っていくマーヤ。
だが、約束の手紙は届かない。
消えたマーヤの跡を追って、その謎に満ちた思い出をたどる〝おれ〟たちだったが…
あまりに切ない、青春の幻影。
それはたった二ヶ月の、短く、儚い、しかし、忘れ得ぬマーヤとの思い出。
〝彼女がいた期間は短かったが、残した印象は鮮烈だ。
その記憶はぬきがたく染み込んで消えない。彼女は、マーヤと名乗った。〟
物語は、そのマーヤの跡をたどる、1年後の場面から始まる。
民族、言語、宗教がモザイクのように複雑に入り交じる、ユーゴスラビア。
セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、スロヴェニア。
ユーゴスラビア人としての矜持を持ち、マーヤはどこからやってきて、どこへ帰っていったのか。
いまだ日本と交戦状態にあるというツルナゴーラ、
彼女の話す言語、スルプスコフルヴァツコム…
マーヤの残した手がかりを追い、その謎に満ちた日々を回想する。
連邦解体による内戦、そして民族浄化という、
大虐殺が行われた歴史を踏まえれば、おのずとこの物語の方向性も定まってくる。
「哲学的意味がありますか?」
崩壊していくユーゴスラビア、〝南スラヴ〟に新しい何かを見出すため、
ほかの国の何かを学んでいく、マーヤの意志。
一方、その対極には何事にも醒めた〝おれ〟がいる。
マーヤに惹かれ、マーヤを理解しようとする〝おれ〟。
〝マーヤは遠くから来たのに、時々とても近くにいる気がする。
しかし近くにいるようでもやはり、マーヤは遠くから来た人なのだ。
様々な意味でマーヤとおれは、生きる世界が違うと知る。〟
近づきたい、だが、近づけない。
じりじりと身を焦がす、歯がゆい思いは、マーヤが去った後も、〝おれ〟を苦しめる。
一方で、そんな〝おれ〟を見守る少女もいる。だが、〝おれ〟は気付かない。
いかにも青春、といってはあまりに軽すぎる、
だが、そのほろ苦い気持ちは、まごう事なき青春であったりする。
オビの〝忘れ難い、出会いと祈りの物語〟は、
まさしくこの小説の本質を端的に表しているといっていいだろう。
マーヤが見ていたものが、〝おれ〟にも見えたその時、迎えるその結末。
この、何とも言えない余韻は、こころの奥に深く突き刺さってくる。
そして、その余韻を何度も思い起こし〝哲学的意味〟を考えたくなる、そんな小説。
なるほど、米沢穂信の代表作といっていい、手応え抜群の傑作だった。