米沢穂信「さよなら妖精 (創元推理文庫)」

mike-cat2006-06-28



〝「哲学的意味がありますか?」
 彼女との偶然の出会いが、謎に満ちた日々への扉を開けた。〟
〝忘れ難い、出会いと祈りの物語。
 「犬はどこだ」の著者の代表作!〟
ということで、文庫化された米沢穂信の〝出世作〟を手に取る。


時は1991年4月。藤柴市に長雨が降り続いた、あの春。
〝おれ〟守屋路行は、雨宿りをしていた少女に出逢う。
遠い国からきた、その少女の名前は、マーヤ。
日本のことを学ぶため、ユーゴスラビアからきたマーヤは、
〝おれ〟たちに対し、常に問いかけ続ける。「哲学的な意味はありますか?」
時まさに連邦解体の危機にあった母国へ戻っていくマーヤ。
だが、約束の手紙は届かない。
消えたマーヤの跡を追って、その謎に満ちた思い出をたどる〝おれ〟たちだったが…


あまりに切ない、青春の幻影。
それはたった二ヶ月の、短く、儚い、しかし、忘れ得ぬマーヤとの思い出。
〝彼女がいた期間は短かったが、残した印象は鮮烈だ。
 その記憶はぬきがたく染み込んで消えない。彼女は、マーヤと名乗った。〟


物語は、そのマーヤの跡をたどる、1年後の場面から始まる。
民族、言語、宗教がモザイクのように複雑に入り交じる、ユーゴスラビア
セルビアモンテネグロクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナマケドニアスロヴェニア
ユーゴスラビア人としての矜持を持ち、マーヤはどこからやってきて、どこへ帰っていったのか。
いまだ日本と交戦状態にあるというツルナゴーラ、
彼女の話す言語、スルプスコフルヴァツコム…
マーヤの残した手がかりを追い、その謎に満ちた日々を回想する。


連邦解体による内戦、そして民族浄化という、
大虐殺が行われた歴史を踏まえれば、おのずとこの物語の方向性も定まってくる。
「哲学的意味がありますか?」
崩壊していくユーゴスラビア、〝南スラヴ〟に新しい何かを見出すため、
ほかの国の何かを学んでいく、マーヤの意志。
一方、その対極には何事にも醒めた〝おれ〟がいる。


マーヤに惹かれ、マーヤを理解しようとする〝おれ〟。
〝マーヤは遠くから来たのに、時々とても近くにいる気がする。
 しかし近くにいるようでもやはり、マーヤは遠くから来た人なのだ。
 様々な意味でマーヤとおれは、生きる世界が違うと知る。〟
近づきたい、だが、近づけない。
じりじりと身を焦がす、歯がゆい思いは、マーヤが去った後も、〝おれ〟を苦しめる。
一方で、そんな〝おれ〟を見守る少女もいる。だが、〝おれ〟は気付かない。
いかにも青春、といってはあまりに軽すぎる、
だが、そのほろ苦い気持ちは、まごう事なき青春であったりする。


オビの〝忘れ難い、出会いと祈りの物語〟は、
まさしくこの小説の本質を端的に表しているといっていいだろう。
マーヤが見ていたものが、〝おれ〟にも見えたその時、迎えるその結末。
この、何とも言えない余韻は、こころの奥に深く突き刺さってくる。
そして、その余韻を何度も思い起こし〝哲学的意味〟を考えたくなる、そんな小説。
なるほど、米沢穂信の代表作といっていい、手応え抜群の傑作だった。


Amazon.co.jpさよなら妖精