楽月慎「陽だまりのブラジリアン」

mike-cat2006-06-19



〝40歳で取締役本部長になった俺は、
 突然、ランジェリーに目覚めた−〟
朝日新人文学賞受賞作、である。
小川洋子による選評が、オビに載っている。
「細部の描写を積み重ね、一つの場面を構築してゆく力がある。
 必ずこれからも書き続けていける人だと思う」
どことなく、微妙な響きを感じるのは僕だけだろうか。


高卒で40歳にして、取締役営業本部長まで昇りつめた〝俺〟。
妻も、子どもも顧みることなく、仕事に打ち込んだ日々…
それが報われた日に、ひょんなことから身につけた妻の下着。
気付けば、インターネットのホームページを調べ、女装クラブへ通う毎日が待っていた−。


女装癖、という題材は、なかなかに斬新な気はする。
変態性の一描写として取り上げられることはあっても、
主人公の性癖として、それも物語の中心的モチーフとなる小説は、少なくとも僕は知らない。
営業本部長=女装、というのはありふれていそうで、意外と珍しい。
そんな印象と、小川洋子の選評につられて、思わず読んでみたのだ。


小川洋子が賛辞をおくっていた、細部の描写に関しては、確かになかなか面白い。
いわゆる女性の下着を初めて身につけるシーンだ。
〝信じられないくらいゴムがよく伸びた。
 それでもピチッと締め付けてくるフィット感がある。
 当然のごとくきついのだが、それがかえって心地よさを高めている。
 陰毛が激しく脇から出て、鏡の中に映ったそのその毛を凝視していると〜〟
引用していて気持ち悪くなったので、このくらいにしていおくが、まあ、なかなかだ。
しかし、オトコでもビキニの履けばそんなものじゃないかな、という気もするが、
たぶんこの主人公の〝俺〟は、トランクスひとすじウン十年なのだろう。


ただ、その一方で、女装そのものに対するスタンスはいまいち見えてこない。
女装仲間のイチロウがこううそぶく
「闇があるから、女装するわけではないんだ。闇が訪れそうだから、女装するんだよ」
そこには背徳の悦びがあるのか、それとも、純粋な女装の悦びがあるのか。
もちろん、やってる本人は、女装に性的な快感を覚えるから、で構わないのだが、
その性癖を持つ主人公、について、読者としてはもう少し掘り下げた部分が読みたいのだ。
もちろん、別に自分が女装してみたい、とかいうのとは違うのだが。


さらに、主人公の〝俺〟の定型パターンぶりも気にかかるところだ。
家庭を顧みない仕事人間。
仕事中心思考からものごとを切り離せない、偉ぶる営業本部長殿、である。
子どものことなど、何も知らないクセに、
いざ問題が起これば妻に「バカヤロウ」と怒鳴るオトコが、
女装を楽しもうが、SMを楽しもうが、スカトロを楽しもうが別にどうでもいいのである。
この主人公の貧弱な人生観、そして感情の起伏が、
もっと面白くなる可能性も秘めた物語設定をだいなしにしている感じがする。


娘との擦れ違いを描く部分も、どこかご都合主義の感が強い。
どうして、その過程を経てそういう結末にたどり着くのか。
〝いい話〟への帰着ありき、のストーリー展開には、正直苦しいものがある。
もっとも、親の見当違いな心配をよそに、
それなりにうまく対処している娘の姿には、たくましさも覚えるし、
現実にはそういうことも多いのだろうな、という思いもあるから、全否定をする気はない。


クライマックスでもある、ブラジリアン(ストリングスのことらしい)を履いてのサンバは、
何とも言えない味わいというか、独特のペーソスを読み取れないでもないし、
最後に敢行する〝家庭内および社内テロ〟という行為も、まあそれなりに面白い。
絶対的な魅力には二つも三つも欠けるのだが、気になる要素も多いのだ。


この本のみでの評価でいえば、「まあまあ」の域を越えないのだが、
この作家、と考えると微妙に魅力も感じる作家なのかも知れない。
まずは次の作品を心して待ちたいな、ということで、きょうはおしまい。


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