フランクリン・フォア「サッカーが世界を解明する」

mike-cat2006-06-15



書店店頭ではちょくちょく見かけていた1冊。
サッカー至上主義にあふれた勘違い本か、
よくあるワールドカップ便乗本と思っていたのだが、
先週の新聞書評で、まったくレベルの違う本であると知る。
〝90分では終わらない、壮大かつディープな物語。〟
ベオグラードグラスゴー、リオ、
 ミラノ、バルセロナ、そしてテヘラン…。
 「グローバリズム」に席巻される21世紀の世界を
 サッカーの最前線から解明する、ファン必読のルポルタージュ!〟
そう、マクドナルドを通じてグローバリゼーションの弊害を描いた、
スーパーサイズ・ミー」「ファストフードが世界を食いつくす」同様、
社会学的なアプローチでサッカーを読み解くテクストなのである。


だからといって、こうした社会学的アプローチにありがちな、
スポーツ本来の価値には見向きもしない、似非ファンのためのものではない。
作者のフォアはワシントンDCのヤッピーの家庭に生まれ、
8歳の時の1982年にサッカーに出逢った、アメリカ人。
近年のサッカーにおけるグローバル化で、さまざまな恩恵も受けてきた、
熱心なサッカーファンにして、「NYタイムズ」などに寄稿する政治記者だ。
そんな彼は、サッカーをメタファーにして「グローバリゼーション」を論じる一方で、
さまざまな地域で変容していくサッカー文化そのものを、愛情を持って描いていく。


プロローグに、興味深い記述がある。
〝グローバリゼーションをもってしてもサッカーの持つ地域固有の文化、確執、
 そして腐敗といったものを消し去ることはできていないということに思い至った。
 今ではむしろ、グローバリゼーションが
 こうしたローカルな力を増幅しているのではないかとさえ思う−
 そして当然、こうした増幅は常にいい方向に向かうとは限らない。〟


そして、フォアは3つのパートから、こうした内容を論じていく。
まずは、グローバリゼーションでも払拭できなかったサッカー界の〝怨恨〟について、
主にフーリガンなどを取り上げ、言及していく。
次に移住、移民といった部分や、権力に翻弄されるサッカー界、
そしてそこにはびこる腐敗など、経済的な部分からアプローチしていく。
そして最後に民族主義の復古に歯止めをかけるべく、昔気質の愛国主義に美徳を見出す。
グローバリゼーションの恩恵を語り、それに対する過度の抵抗は不可能、
とした上で、サッカー界のグローバリゼーションを、見極めていくのである。


第1章「ギャングスターたちのパラダイス」で取り上げられるのは、
ユーゴスラビア時代に栄華を誇った名門レッドスター・ベオグラードだ。
あの内戦において、民族浄化、ジェノサイドの突撃部隊を兼ねていた、
というレッドスターフーリガン「ウルトラ・バッドボーイズ」が登場する。


第2章「セクト主義の好色性」の舞台はスコットランドグラスゴー
プロテスタントカトリックの代理戦争、「オールド・ファーム」。
つまり、同じくグラスゴーを本拠地とする2つの強豪チーム、
レンジャーズと、あの中村俊輔の所属するセルティックのライバル関係が取り上げられる。
グローバル化された世界においても、
そこにある〝隣人に向ける敵意以上のもの〟は根強く残り、
宗教改革を巡る未完の紛争〟は続いていくのである。


第3章「ユダヤ人問題」では、
1925年にオーストリア・リーグを制したウィーンの「ユダヤ人チーム」ハコアが登場する。
ヘブライ語で「強さ」を意味するチーム名を冠したチームの、歴史と、
グローバリゼーションによる多民族化で、
ヨーロッパ人にとっての一番の〝敵〟が、ユダヤ人やジプシーから、
アフリカ系や中国人、そしてムスリムにまで拡散していった部分など印象深い章である。


第4章「フーリガンたちの郷愁」では、
グローバリゼーション化と中産階級化によって、
もっとも大きく変貌したクラブのひとつである、チェルシーを取り上げる。
60年代半ば、イングランドで初めてフーリガンが組織されたロンドンで、
いったい何が起こったのか−、その変貌を中年フーリガンが郷愁たっぷりに語り上げていく。


第5章「幹部たちの存亡」の主役は、王様ペレとブラジルの名門クラブだ。
構造的な腐敗に、あの世界の英雄ですら取り込まれ、
有力選手が国外へ流出を続け、国内リーグが壊滅状態に陥りつつも、
一方でグローバリゼーションに抵抗していく姿に、何とも複雑な想いがよぎる。


第6章「黒いカルパティア山脈」は、旧ソ連ウクライナのクラブチーム、
カルパティ・リボフに入団したナイジェリア人ストライカーの物語。
没個性を極めた社会主義政権的サッカーに取り込まれた、
〝アフリカのブラジル〟ナイジェリア人、エドワードの苦悩が描かれる。


第7章「新しい寡頭資本家の台頭」では、
いま巷で話題のユベントスによる審判買収疑惑を、タイムリーに取り上げるとともに、
ユベントス、ACミランという対照的な二つのビッグクラブの権力構造を説明していく。


第8章「ブルジョワ国家主義の控えめな魅力」の舞台はバルセロナだ。
他社に対する人種差別や多国籍コングロマリットによる支配などとは一線を画す、
このカタルーニャの誇りたるクラブがたどった、その歴史はカタルーニャの歴史そのもの。
「マス・ケ・ウン・クルブ」−クラブ以上−をモットーとする、FCバルセロナである。


第9章「イスラムの願い」は、
イスラム国家イランにおける「フットボール・レボリューション」が描かれる。
世界最高の十二万人を収容する、テヘランのスタジアム「アザディ」。
「自由」を意味するこのスタジアムにおける、その対極の「禁制」は取り払われるのか−。
イスラム政権がどうサッカーを取り込んでいくか、の過程が興味深い。


そして最終章「アメリカの文化紛争」では、著者みずからのルーツにたち帰り、
フットボールがすなわち〝アメリカン・フットボール〟を意味するアメリカを取り上げる。
アメリカの国家アイデンティティーが危機にさらされている現状を訴え、
〝グローバリゼーションにおける邪悪な悪党〟であるアメリカが、
一方でその被害者でもある、という皮肉な部分が、何ともいえない余韻を残す。


興味深い内容と、滑らかな語り口で、一気に読ませる傑作だ。
〝ファン必読〟というのはもちろんのこと、
サッカーに興味のない〝ただの本好き〟にも楽しめる1冊だと思う。
「ニッポン、がんばれ!」を必要以上にがなり立てるばかりの報道に
飽き飽きしたら、ちょっと目先を変えてみるのにもいいかも知れない。
まあ、熱心なサポーターのみなさんは、それどころじゃないとは思うのだけど、ね。


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