真保裕一「栄光なき凱旋 上」「栄光なき凱旋 下」

mike-cat2006-06-07



真保裕一、渾身の最新作。
〝憎き日本人を殺す手伝いをさせてください〟
パールハーバーは襲撃され、
リトル・トーキョーは震え上がった。
 アメリカで生まれた日系二世たちは、
自らのために戦う決意をした。〟
〝友よ、死ぬな 神よ、我を救いたまえ〟
〝愛する者のために銃を手にしたジロー、ヘンリー、マット。
 三人の若者が未来を掴むために地獄の戦場を駆けめぐる。〟


日本軍による真珠湾奇襲攻撃で始まった、アメリカの二次大戦。
祖国との狭間で、蹂躙された日系人たちの戦争を、LA、ハワイ出身の3人の視点から描く。
奔放に生きる母に捨てられ、LAの日系人社会に背を向けるジロー・モリタ
銀行への就職と、誰もがうらやむ婚約者を手にした日系人社会の星、ヘンリー・カワバタ、
そしてハワイの大学で美しい恋人と、信頼できる友人に囲まれたマット・フジワラ。
〝ジャップ〟への嫌がらせ、スパイ疑惑による人権蹂躙、そして強制収容…
怒り、未練、罪悪感… さまざまな想いを残し、戦場へ向かう日系人たち。
ガダルカナル、フィリピン、サイパン、そしてヨーロッパ戦線、日系人たちの人生が交錯する。
それは、戦争やアメリカ社会、日系人社会のさまざまな不条理と矛盾を背負ったままで…


あの二次大戦、というものを振り返った際、
その価値判断においてはどうしても戦勝国たるアメリカの価値基準が優先され、
当時の世界の状況は果たしてどうだったのか、
日本がなぜ無謀な戦争に踏み出さねばならなかったのか、
などの視点は、比較的軽視されるケースが多いことは、言うまでもないだろう。


ただ、ここで当時の〝日本〟を別に正当化するつもりもないし、
かといって戦勝国アメリカの価値基準だけが正しいという気も、毛頭ない。
この小説でも語られている通り、間違いがなさそうなのは、
日本では、軍部や政治家、またそれらの暴走を許した大衆に責任があり、
アメリカでは、一部の富裕白人層の利益を守るため、多くの血が流された、ということ、
そして、実際流された血のほとんどが、
そうした構図からかけ離れた人たちのものだった、ということだろう。


その戦争において、ふたつの祖国に裏切られ、
戦争に翻弄され続けた日系人の物語は、あまりにも哀しく、切ない。
敵性民族として、いわれのない強制収容と、事実上の財産剥奪をされ、
戦局が変化すると、都合のいい突撃部隊代わりに利用される。
アメリカのため、祖国のため、銃を手にしたヘンリーたちが戦場で見たもの、
それは、偽りの祖国のために、無残に命を落としていく、〝準アメリカ人〟たちの姿だ。
慟哭が全身を突き上げる。
〝これが我々日系人の手にした権利なのだ。
 地に這いつくばり、敵の銃弾を浴び、アメリカ人として命を落とす。
 遠い祖国で戦争の成り行きを新聞で読む多くの白人たちの恵まれた生活を守るために。〟


そして、凱旋した日系人兵士たちを待っていたのは、
戦場の現実を知らないまま無責任に戦勝を祝う白人たちの姿、
そして、何の補償のないまま、傷ついた兵士たちを放り出す、冷酷な社会。
何のために戦ったのか…
日系人社会の抱えていた問題も、真っ直ぐに見すえながらも、その哀しみの深さは計り知れない。
ジロー、ヘンリー、マットがそれぞれ持て余す、感情のうねりは、
読む者のこころを揺さぶり、思考を底無しの沼へと誘い込む。


白人対日系人日系人内の対立、そして戦場の現実。
物語は、いわゆる〝目にしたくないもの〟であふれている。
日系人をそこまで追い込んだアメリカ社会は、何の責任すら負わないまま話は終わる。
だが、圧倒的なまでに苦い物語にもかかわらず、
この作品は、どこか爽やかな余韻を残し、幕を閉じていく。
それはある意味で諦念にも近い部分はあるのだが、
日系人としての自分に苦しみ抜いたジローが、
最期にたどり着いた境地には、苦いながらも熱い感動を覚えてしまうのだ。


この日系アメリカ人の歴史を振り返る、という意義だけではなく、
エンターテインメントとしても、もちろん読み応え十分すぎるほどの傑作だ。
読むのには少々覚悟はいるのだが、やはり読んで損はない。
戦争の虚しさを再確認する意味でも、あまり読んだことのない視点が新鮮だ。
大政翼賛会を思わすような法律が次々と国会を通過する現在の情勢を考えると、
単なる過去の歴史、とは割り切れない厭なものも頭をよぎるのは確かだが…


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