ジャネット・ウォラック「砂漠の女王―イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯」

mike-cat2006-05-20



イラク建国の立役者は、英国富豪令嬢だった!〟
アラビアのロレンスと共にイスラームの民を愛し、
 人生に愛を求めつづけたひとりの女性。
 砂漠を駈けぬけた、その愛と情熱に満ちた一生〟


イラク建国の母」、「イラクの無冠の女王」、
アラビアのロレンスの影の頭脳」、「イスラーム信徒の母」…
そして、ウィンストン・チャーチルのために、砂漠に国境線を引いてみせた女性−。
1900年代初頭、オスマントルコ帝国の凋落とともに訪れた、アラブ世界の混乱。
女性蔑視が当然のイスラム世界で、時に中東政策のフィクサーとして、
時に英国諜報部のスパイとして、時に砂漠の民の信頼できる仲間として、
メソポタミアの地に立憲君主制をもたらしたひとりの女性、
ガートルード・ベルの生涯を綴った、渾身のノンフィクションだ。


ミドルズブラの鉄鋼王の家に生まれた令嬢は、
幼い頃に実母を失い、躾の厳しい継母のもとで育てられた。
才気と活力にあふれたガートルードは、
女性に門戸を開いたばかりのオックスフォードを優等で卒業したものの、
その膨大なエネルギーの向かう先を、見つけきれないままにいた。
彼女が何よりも愛したのは東方、そして砂漠への旅行。
考古学の研究を通し、砂漠の民と親しんだ彼女の前に、第一次世界大戦が訪れる。
それは、砂漠地帯のアナリストたる、彼女の独壇場だった。
アラビアのロレンス」のT.E.ロレンスとともに、
砂漠の利権をめぐって激動するアラブ社会を力強く生き抜いた彼女はやがて、
イラク建国のキーパーソンとして、大英帝国と砂漠の民をつなぐパイプ役となる。


このノンフィクションの何よりもの醍醐味は、ひとりの類い希な女性の生き様である。
親の資産に守られたわがままな令嬢、といってもいい行動パターンに、
ファーザー・コンプレックスにも近い、実力者に対する認知願望などなど、
欠点も数多い彼女ではあるが、そのバイタリティ、そして人望、功績の大きさは計り知れない。
東方に魅せられ、こころの赴くままに砂漠を放浪した幸福な時代、
愛する人を戦争で失い、同僚の嫉妬に悩まされ、苦しんだ雌伏の時、
そしてアラブ社会から絶大の信頼を得て、華やかに彩られた絶頂期−。
その生き様は、いまの時代に失われた壮大なロマン、といってもいい。


そして一方で、いまなお混迷を極めるイラクなど湾岸地域が、
第一次大戦前後で、どのようにして〝造られていったのか〟、
大英帝国に代表される、欧米列強に振り回される姿も、非常に興味深い。
スンニ派シーア派クルド人など、各勢力が拮抗するその地域を、
当時どうやってひとつの国にまとめ上げたのか、詳細な描写が散りばめられている。
どうやっても、西欧のキリスト教社会、それも米英の視点からしか、
多くは論じられることのないこの地域のことが少しは見えてくるような気がする。
そういう点では、とても読み応えのある一冊、といっていいだろう。


ただ、惜しむらくは、どうにも記述が重たいのである。
ガートルードの人生、そして当時の世界情勢、砂漠の民の流儀、
どれも欠かすことのできない要素であることは間違いがないのだが、
その説明がどうにも冗長に過ぎるような感が、そこかしこに見られるのだ。
ガートルードの自慢話、的な部分や、個人的な確執の描写が詳細すぎて、
あの激動の時代ならでは、のダイナミズムが、十分に伝わってこない。
600ページ近い大容量のノンフィクションを、
グイグイと読ませるだけのスピード感や駆動力がどうにも欠けているのだ。


そして映画「アラビアのロレンス」のような、
砂漠の誘惑が十分に伝わってこないのも、痛いところだ。

あの「アラビアのロレンス」のようなビジュアル描写を本に求めること自体、無理な注文とは思う。
だが、これだけ砂漠のロマンを詰め込みながら、
どこかそのバランスがいまひとつなため、迫力みたいなものが、何となく感じられない。


もしかすると、この湾岸地域に詳しい人には、
情景が目に浮かぶような、絶妙の描写なのかも知れない。
でも、断片的なニュース以外では、浦沢直樹の「MASTERキートン」でぐらいしか、
その地域のことを知らない僕が読んでも、何だかピンとこないことも多いのだ。


総体的に、面白かったとは思う。
読み応えも十分すぎるほどあった。
だが、読んでいる間中、こんな思いもよぎっっていた。
「早く読み終わらないかな…」。
やはり読みづらい本、というのは時に苦痛なのである。
この圧倒的な物語が、もっとスピード感たっぷりに描かれていたなら…
そんなことを思い、分厚い本に別れを告げたのだった。

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