マーク・カーランスキー「1968―世界が揺れた年〈前編〉」「1968―世界が揺れた年〈後編〉」
〝思い出して下さい。この年、あなたは何をしていましたか?〟
何もしてません。そりゃ、まだ生まれてませんから…
〝激動の一年がよみがえる。これは、決して過去のことではない。〟
1968年とは、現代史における、ひとつの転換点となった1年でもあった。
1968年、と聞いて思い出すのは、やはりプラハの春だろう。
だが、それだけではない。
パリの五月革命、ベトナム反戦運動、世界各地で高まる学生運動、
ストックヤードの悪夢、ソ連のプラハ侵攻、メキシコの虐殺。
泥沼化が進むベトナム戦争では過去最大の戦死者を出し、
キング牧師にロバート・ケネディの相次ぐ暗殺…
さまざまな事件に彩られた、激動の1年を振り返るノンフィクションだ。
キーワードは序章で語られる、4つの歴史的要素だ。
ひとつは、当時、非常に斬新で独創的だった公民権運動。
ひとつは、独自の感覚や疎外感にあふれ、いかなる権力も受け入れなかった世代。
ひとつは、すべての反体制派にとっての大義名分となったベトナム戦争。
ひとつは、これらのあらゆる出来事が中継される、テレビ時代の到来。
そして序章は、こう締められる。
〝民衆が自分が思ったことを口にし、罪を犯すことも恐れなかった時代があり、
そしてその時代からずっと埋もれていた真実がたくさんあることを思い知ったのである。〟
本の軸となるのは、プラハの春と、ベトナム戦争に揺れるアメリカだ。
数々の小説や映画などで、チラチラと眺めることこそあったが、
ここまで真正面から当時を再現したノンフィクションを読む機会は、そうない。
歴史教科書では、わずか1、2ページにまとめられそうな、
数多くの事件、出来事のひとつひとつが、詳細に語られる。
プラハの春当時の、チェコスロバキアの指導者アレクサンデル・ドプチェクや、
暗殺を不可避の運命としてとらえていたロバート・F・ケネディの言葉が、どれも印象深い。
ふたつの暗殺を経て、最後はニクソンの大統領就任で終わったアメリカの1年。
最終的にはワルシャワ条約機構軍の侵攻で幕を閉じたプラハの春。
この年だけを見てみれば、さまざまな〝動き〟は封じられたかにも見えた。
だが、歴史の本当の価値が見出されるのは、やはり後世になってからだ。
〝一九六八年八月二十日のソ連のチェコスロバキア侵攻は、ソ連邦終焉の始まりを決定づけた。
二十年以上あとに、ついに終焉の時が訪れると、西側諸国に衝撃が走った。
終焉が始まっていたことを見逃していたのだ。
だが、侵攻時には『タイム』でさえソ連邦終焉を予告していた。〟
もちろん、1968年という年だけを〝特別視〟するのはどうか、という考え方もあろう。
だが、カーランスキーはこうまとめている。
〝歴史を振り返ってみても、抜本的な変化がいつ起こったのか、
その時期を特定することはなかなかできないものだ。
変化をもたらしたのは一九六七年であり、一九六九年でもあり、
一九六八年という年を形成したそれ以前の年でもある。
しかし一九六八年は、抜本的な変化の中心点でもあり、
ポストモダンのメディア主導の世界の誕生した年でもあった。
だからこそ、そのころの大衆文化を圧倒的に表現していた当時のポピュラー音楽は、
若者と何世代にもわたってつながりつづけていたのだ。〟
そして、1968年の年の瀬は、美しい画像で幕を閉じた。
月の周回軌道を回ったアポロ八号が送信した、青と白に彩られた地球の鮮明な画像。
それは、地球上の出来事を一時棚上げし、未来にこころを踊らせる瞬間だった。
当時をリアルタイムで知る世代には、また違う感慨もあろうが、
当時を知識でしか知らなかった世代にとっては、
ある意味時代の〝匂い〟すら、体験できるような力作である。
娯楽性という部分だけでみれば、多少冗長な印象も強いが、
やはりその読み応えは、圧倒的のひとことだ。
読んでて疲れたのも確かなんだが、読み終えて後悔のない一冊だった。