小川洋子「ミーナの行進」

mike-cat2006-05-03



博士の愛した数式 (新潮文庫)」の小川洋子最新作。
〝美しくて、か弱くて、本を愛したミーナ
 あなたとの思い出は、損なわれることがない−
 懐かしい時代に育まれた
 ふたりの少女と、家族の物語〟
高い、高い期待感を胸に、満を持して読み始める。


時代は1972年から、73年にかけての〝あの時代〟
家庭の事情で、岡山から芦屋の洋館に住む伯母のもとへ預けられた〝私〟朋子。
飲料会社を経営する、裕福な伯父の洋館は、さまざまな驚きに満ちていた。
〝ローザおばあさんは、ドイツから持ってきたお嫁入り道具の鏡台の前で、
 念入りに美顔クリームをすり込む。
 叔母さんは喫煙ルームで誤植探しに熱中している。
 叔父さんは家の中でさえ隙のないお洒落な装いで、引っきりなしに冗談を飛ばす。
 お手伝いの米田さんと小林さんは、それぞれの持ち場で仕事に精を出し、
 ペットのポチ子は庭でくつろぐ。そして従姉のミーナは本を読んでいる。〟
愛おしく、美しく、そしてキュンと胸が締めつけられる、思い出の数々−。


その美しさに、切なさに、そしてなぜか懐かしい感覚に、思わず涙がこぼれた。
前日「わたしを離さないで」を大傑作、と書いたが、こちらも負けず劣らずの大傑作だ。
芥川賞受賞作「妊娠カレンダー (文春文庫)」に通じる、
そこはかとない微妙な悪意、みたいな部分が薄れたイメージはあるが、
小川洋子の描き出す、その美しさと、その中に見え隠れする残酷な現実が、
読み進めるごとに、胸の中にぐぐっと突き刺さってくるのだ。
描き出されるひとつひとつの場面場面が、
自分にとっても大事な思い出になるような、そんな感触。
虚構のはずのノスタルジーが、まるで生き生きと甦ってくるような思いがよぎる。


タイトルにある〝ミーナの行進〟が、あまりにも美しい。
文字通りのポチ子(何と、コビトカバ!!)との行進も美しいし、
趣味で集めているマッチ箱の絵柄の中を空想で旅する、その箱の世界の行進も限りなく美しい。
そして、完璧に形作られ、すべてから保護された世界から旅立つ、ミーナの行進…
物語の縦軸を司る、いくつもの行進が、感動を深めていく。


そして、横軸ともなる洋館での生活。
それがもう、読んでいるだけで息苦しくなるほど、愛おしいのだ。
その当時を思い起こす、〝私〟の言葉がもうたまらない。
もう、その洋館は失われて久しい。いまでは、影も形も残っていない。
序盤の一節から引用する。
〝しかし、現実が失われているからこそ、私の思い出はもはや、
 なにものにも損なわれることがない。
 心の中では、伯父さんの家はまだそこにあり、家族たちは、
 死んだ者も老いた者も、皆昔のままの姿で暮らしている。
 繰り返し思い出すたび、彼らの声は一層いきいきとし、笑顔は温もりを帯びる〟


〝私は邪魔にならないように注意しながら、そっと彼らの間をさ迷い歩く。
 なのに必ず誰かが私に気づき、まるで三十年の月日などなかったようにさり気なく、
 「なぁんや、そこにいたん、朋子」〟と声を掛ける。
 「そうよ」と私は、思い出の中の人たちに答える。〟
この一節あたりでもう、完全に気持ちが物語世界に入り込んでしまった。


それは幸せに満たされた、どこかもろくも完璧な世界を構成していた。
幸せの絶頂だったある日の、写真撮影を回想する場面だ。
〝あの日撮った写真は、芦屋での日々を記憶に留める大事な宝物として、
 今も私の手元にある。もうずいぶん長い時間が過ぎてしまったけれど、
 伯父さんと龍一さんのうっとりするほどのハンサムぶりは少しも色あせていない。
 伯母さんは控えめに微笑み、小林さんはポチ子の胴体を押さえている。
 長い格闘の結果、ポチ子のリボンの結び目は解けかけている。
 ローザおばあさんと米田さんは双子の姉妹のように寄り添っている。
 そしてミーナはその栗色の瞳で、レンズよりももっと向こうの、
 どこか遠くを見つめている。皆の後ろには、私の大好きだったあの優美な洋館が写っている。
 写真を見るたびに私はつぶやく。全員揃ってる。大丈夫。誰も欠けてない。〟


ああ、もう書き写しているだけで涙が止まらなくなる。
誰もが心の中に持つ、幼いころの〝完璧な世界〟がそこにはある。
それは洋館でなくても、コビトカバがいなくても、美しい父や兄がいなくても、構わない。
ただ、朋子にとって完璧な世界がそうだった、というだけのことである。
まあ、それにしてもあまりに美しい〝完璧な世界〟であることには間違いないが。


物語の最後を飾る、ミーナと朋子の手紙のやりとりはもう、涙なしでは読めない。
もうその時、洋館の思い出は、完全に読む者にとっても共通の思い出となっているからだ。
その甘いノスタルジーに包まれながら、本を閉じる時、
さまざまな感慨と、甘く切ない余韻が体中を浸している。
いつまでも読み終えたくないような、惜別の念が沸き起こってくるのだ。


懐かしのミュンヘン五輪男子バレーボールなんかも登場する。
(いや、もちろんその当時のことは記憶にはないのだが…)
あのタケダの「プラッシー」を思い起こさせる、
清涼飲料「フレッシー」を始めとした、さまざまな細かい情景描写や、
寺田順三による美しい挿画の数々も、
読む者の想像力を膨らませ、思いをさらに感慨深く形作っていく。


繰り返しになるが、文句なしの大傑作だ。
多少甘すぎる世界かもしれないが、そんなのいいのだ。
ことしここまでで、間違いのないナンバー1。
(あっ、絲山秋子沖で待つ」とだと悩むかも…)
感動と切なさと懐かしさに包まれながらの300ページ余は、読書の至福を味わわせてくれる。
何度も読み返し、そしてさまざまな世代のさまざまな読者に勧めたくなる一冊。
こういう本に出会えるから、読書はやめられない。
そんな思いに浸りながら、本を閉じたのだった。

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