カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」

mike-cat2006-05-02



日の名残り (ハヤカワepi文庫)」のカズオ・イシグロ最新作。
〝謎の全寮制施設に生まれ育った若者たちの
 痛切なる青春の日々と数奇な運命を
 感動的に描くブッカー賞作家の最新長編〟
発売後ただちに、あの「タイム」誌の
オールタイムベスト100に選出されたという、
〝2005年に発売された英語圏の小説でもっとも話題〟の1冊。


柴田元幸氏によるオビの惹句が、えらくそそるのだ。
〝著者のどの作品をも越えた鬼気迫る凄みをこの小説は獲得している。
 現時点での、イシグロの最高傑作だと思う。〟
つまり、あの大傑作「日の名残り」を凌駕する、ということだ。
そりゃ、読まないわけにはいかないだろう。


優秀な介護人にして語り手の、キャシーによる回想だ。
生まれ育った施設、ヘールシャムでの思い出が語られる。
親友のルース、トミーとともに過ごした、奇妙にして美しい日々。
保護官に手厚く見守られ、豊かな情操教育を受けながら、
やがて訪れる〝提供〟の日に向けて、成長していく子どもたち。
だが、施設を離れたヘールシャムの子どもたちには、皮肉な運命が待ち受ける。


〝提供者〟たることを運命づけられた、と書けば、その正体はおぼろげに想像はつく。
だが、イシグロは明確にその〝提供〟が何であるかを明かさない。
そして、その不透明な部分を残したまま、キャシーの回想は進む。
かといって、その〝秘密〟の謎解きが物語の主題というわけではない。
それは〝教わっているようで教わってない〟まま、
ヘールシャムでの日々を送る子どもたちの宙ぶらりん感を、なぞるかのようである。


なぜ、毎週のような健康診断が課されているのか、
なぜ、美術に重点を置かれた教育が行われているのか…
「あなた方は……特別な生徒です。
 ですから体を健康に保つこと、とくに内部を健康に保つことが、
 わたしなどよりずっとずっと重要なのです」
ヘールシャムという施設の持つ特性は、明快にしてどこか不思議な部分を残す。
そこにもうひとつの〝秘密〟が隠され、多層に織り込まれた物語を紡ぎ出していく。


その筆致は、穏やかにして残酷であり、美しくも切ない。
〝世の中の遺失物管理所〟たるノーフォークのエピソードや、
ジュディ・ブリッジウォーターの「夜に聞く歌」収録の「わたしを離さないで」の一節、
「ネバーレットミーゴー……オー、ベイビー、ベイビー……わたしを離さないで…」
の調べが醸し出す、哀切の感情などなど、
ルースやトミーとの思い出に彩られたキャシーの回想は、
読む者をそのままヘールシャムの、その時代へと送り込んでいく。


〝秘密〟にまつわる、さまざまな技術的、倫理的問題などは、
微妙にSFめいた部分と、医療が将来抱えるかも知れない、課題を内包している。
〝提供〟を宿命づけられたルース、トミーの生き様、
そしてキャシーが物語の最後に採った選択…
そのどれもが、ひとことでは言い表せない複雑な余韻を残していく。
深い感動、といってしまうと安っぽくも聞こえるが、文字通りの深い感動だ。


柴田元幸氏による解説も、これまた興味深く、
読み終えて、しばし脱力感というか、放心状態になる一冊。
日の名残り」も素晴らしい作品だったが、これも間違いのない大傑作だ。
イシグロの作品はなぜか読む前、どうしても重厚なイメージがあるのだが、
読み出すと必ず一気に読んでしまうほどの読みやすさで、深い感動を与えてくれる。
いまさらながらだが、「わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)」も読まないといけない。
別に義務感じゃないが、何か強くそう思ってしまったのだった。

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