アリス・マンロー「イラクサ (新潮クレスト・ブックス)」
ひさびさの新潮クレスト・ブックス。
半年近く放置プレイの「最後の注文 (新潮クレスト・ブックス)」を差し置き、
読み始めた理由は、もちろんこの豪華なオビの惹句。
〝ニューヨークタイムズ「今年の10冊」選出作〟
〝タイム「世界で最も影響力のある100人」選出作〟
〝長編小説を凝縮したかのような読後感。
名匠マンローによる極上の短編集!〟
そうまで言われて読まないでいたら、
本読みの名が廃る、ってことで、勝手に気合いを入れてみる。
解説によれば、現在74歳のマンローは、カナダの作家。
「彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)」のアリステア・マクラウドなど、
カナダの作家には、どこかロマンチックな印象を持っているのだが、
このマンローも例外ではないようだ。
主に老齢期にさしかかった主人公たちを中心とした短編は、
独特の淡いロマンと切なさを醸し出す、味わい深い作品ばかりだ。
9編については、オビをほぼそのまま引用する。
〝旅仕事の父に伴われてやってきた少年と、ある町の少女との特別な絆。
30年後に再会した二人が背負う、人生の苦さと思い出の甘やかさ(「イラクサ」)。
〝孤独な未婚の家政婦が少女たちの偽のラブレターにひっかかるが、
それが思わぬ顛末となる「恋占い」〟
〝ただ一度の息をのむような不倫の体験を
胸に抱いて生きる女性(「記憶に残っていること」)〟
〝不実な夫が痴呆症の妻によせる恋にも似た感情(「クマが山を越えてきた」)〟
9編の中でもいちばん印象深いのは、「恋占い」だろうか。
原題は〝Hateship,Friendship,Courtship,Loveship,Marriage〟
ジュリアン・ムーア(「めぐりあう時間たち」)製作・主演で映画化されるらしい。
不器量らしい主人公のジョアンナとムーアでは、ちょっと違和感もあるのだが、
シャーリーズ・セロンやニコール・キッドマン同様、近年流行りのブスメイクでいけるかも。
ドラマは、カナダ東部のオンタリオ州の小さな駅で始まる。
遙か大陸の彼方、サスカチェワンに家具を送りたいと申し出るジョアンナ。
駅員の冷たい視線は、ジョアンナの不器量さを次々と見つけ出す。
そんなジョアンナの生い立ち、そしていまの境遇。
どれをとっても、思わず切なくなるような、不幸な女だ。
その不幸な女へ、からかい半分に偽のラブレターを送る少女たち。
その若さゆえの残酷さに、心地悪さを覚えつつ読み進むと、
これが後々の味わい深いドラマの伏線になっているという、粋な仕掛けだ。
物語の味わいもさることながら、瑣末な描写にも、印象に残る場面は多い。
偽ラブレターでジョアンナをはめる、サビサとイーディスの絡みだ。
裕福な親戚の下に預けられたサビサが、わずか3週間で劇的な変貌を遂げる。
〝サビサの肌は魅力的なキツネ色になり、短くなった髪が顔の周りでふわふわしている。
いとこたちがカットしてパーマをかけてくれたのだ。
サビサはスカートのようなショーツに、まえ開きで肩にフリルのある
顔映りのいい青色の遊び着のようなものを着ていた。
肉付きがよくなって、床にあったアイスコーヒーのグラスを取ろうとかがむと、
なめらかに輝く谷間が見えた。
胸。きっとむこうへ行く前にふくらみ始めていたのに、イーディスは気がつかなかったのだ。
一夜明けてみるとふくらんでいるものなのかもしれない。あるいはふくらんでいなかったり。
どうやってなったにしろ、まったくのタナボタの不当利益のように思えた。〟
少女期ならではの劇的な変化であったり、おとな顔負けの観察力であったり、
そしてその中にかいま見える傲慢さであったり、
とちょっとした部分にも、豊かな叙情性というか、深い味わいが満たされている。
「クマが山を越えてきた」〝The Bear Comes Over the Mountain〟もいい。
妻フィオーナがありながら、女たらしの人生を貫いてきたグラントが、
痴呆の妻に戸惑いつつ、その気持ちを違う形で募らせる。
それでも、また違う女、マリアンに気を惹かれていく、懲りないグラントがどこか滑稽だ。
フィオーナに想いを馳せつつ、マリアンのことも想う。
〝フィオーナを理解しようとすると、いつももどかしい思いにかられる。
蜃気楼を追いかけるようなものかも知れない。
いや−蜃気楼のなかで暮らすようなものか。
マリアンに近づけば、またべつの問題があるだろう。
ライチの実をかじるようなものかも。変に人工的な魅力のある果肉、
化学薬品のような味と香りの果肉が、大きな種、核の周りを薄く覆っている。〟
ライチの実をかじる時の、あの独特な感触を思い起こさせる女性−。
考えてみると、とても不思議でいて、なぜか納得できるような気がするのだ。
ちなみにこのサラ・ポーリー(「スウィート・ヒア・アフター」)が監督で映画化するらしい。
製作総指揮は同じく「スウィート〜」のアトム・エゴヤン。こちらも映像化が楽しみな作品だ。
ちょっとハズレ気味、というか、難解な作品もなくはない。
そんなこともあって、読み終えるまでだいぶ苦戦した。
絶対的にお勧めできる作品とは微妙に言い難いが、
読めば印象に残る作品が数々あることも、確かだったりする。
全体的に、視点が枯れすぎている気もしなくはないので、
もっとこちらの年齢が行ってからもう一度読み直すのもいいかも知れない。
20年後か、それとも30年後か−。
その時はその時で、けっこう楽しみな一冊だと思う。