山本幸久「男は敵、女はもっと敵」

mike-cat2006-02-26



最近お気に入りの山本幸久最新作。
はなうた日和」を思わせる、主人公が入れ替わる連作だ。


連作の軸となるのはフリーの映画宣伝マン(ウーマン?)高坂藍子。
その妹、梨本麻衣子や、元旦那の湯川卓、その恋人の池上真紀、
麻衣子の旦那の梨本護、藍子の不倫相手の西村貢、
その妻と息子、大湊八重と良太、老映画評論家の莉田平和…
さまざまな人が、少しずつ擦れ違い、少しずつ関わり合う群像劇だ。


「敵の女」では、
あてつけの結婚が終焉を迎えたばかりの藍子が、
映画会社の若手吾妻とともに、とんでもないプロモーションを行う。
そこに駆けつけるのは、麻衣子や梨本、西村といった面々。
藍子の感情を逆撫でする、彼らの様子が滑稽にして切ない。


「Aクラスの女」は、その藍子に嫉妬の炎を燃やす池上真紀。
スラッとした長身、センスのいい着こなし、
バイタリティにあふれた人柄、〝莞爾とほほ笑む〟ような笑顔…
パーフェクト過ぎるがゆえの哀愁、みたいなものが逆に漂ってくる。
愛人の西村と比べ、「マッサージ以外すべてに劣る」と言われた、
湯川卓の若い恋人、池上真紀の心情としたら、まことに穏やかでない。


「本気の女」では、
藍子の元愛人、西村の数々の浮気に悩まされた大湊八重と、
その息子良太の様子が描かれる。
いいかげん懲りない男と、それに気が付かない女、そしてその狭間で揺れる息子。
それぞれの思いは、ほとんど交錯することすらない。どこか寂しさが漂う一編だ。


「都合のいい女」は、
熱い思いを抱けない美加との関係に悩む吾妻が主役。
明らかに変わり者の映画評論家、莉田平和が何とも言えない味を醸し出す。
この老人がとにかくすごいのだ。
アメリカのティーン映画でも何でも、とりあえずはきちんと見る。
気になる未公開作品のDVDでもネットで取り寄せる。
旧態依然たる枠組みに当てはめるだけが、評論じゃない。
きちんとした理論的土壌を持った上で、面白い映画は面白いと言い切る。
〝お×ぎ〟とかいうヤツに、ぜひ見習って欲しいような評論家なのだ。


「昔の女」は、
決意の離婚はしてみたものの、結局は藍子に捨てられ西村貢の悲哀が描かれ、
最終編の「不敵の女」では、
麻衣子、西村、吾妻…藍子の周囲の人間関係が再び、集約していく。


吾妻が藍子への憧れを口にする場面が印象深い。
「なににも束縛されずに、自分が思うまま生きている」と吾妻。
だが、それはあくまで、吾妻の目に映った藍子の一側面でしかない。
〝たしかになににも束縛はされていない。
 だからといって自由であるわけではない。
 女がひとりでいきていくとはそういうことなのである。〟
藍子のこんなつぶやきが、複雑な響きを伴い、独特の余韻を残す。


過去の作品と比べ、ちょっと味つけが薄いというか、
物語そのものに読む者を引き込むようなパワーが感じられないのだが、
さらっと読むには、まあ悪くないかな、という感じの作品。
版元が版元だし(マガジンハウス)、こんなものだろうな、というのが率直な感想だ。
少なくとも、山本幸久の1冊目には選んで欲しくないな、と、
ファンとしては厳しい感想を覚えるしかなかったのだった。