絲山秋子「沖で待つ」

mike-cat2006-02-25



芥川賞受賞作の「沖で待つ」は、文學界のバックナンバーで既読。
http://d.hatena.ne.jp/mike-cat/20060126
今回あらためて、違うレイアウトで読んでみると、何となく気分が違う。
独特の静謐な雰囲気、というか、行間の佇まいが胸に詰まる。
やっぱり、きちんと本になったもので読むと、ひと味違うな、などとまずは思う。


しかし、併録の「勤労感謝の日」がそれにもまして気に入った。
これは、いい。デビュー作「イッツ・オンリー・トーク」のような、
猥雑さの中にそこはかとなく漂う切なさ、みたいな部分が、すごく伝わってくる。


セクハラ上司への乱暴狼藉が原因で、無職の鳥飼恭子が送る、ある一日。
大手企業勤務を鼻にかける男との気の乗らない見合い、
好きな仕事を見つけた後輩・水谷との会話、
ヤサグレ三昧と勝手に名付けた飲み屋でのヤサグレ酒…
仕事、そして自分と向き合う「勤労感謝の日」。


バブル入社の女子総合職。
馬車馬のように働いて、気づいたらお荷物にされていた。
〝入社して配属部署が決まって上司にあいさつに行くと、
 最初に「女性らしさを生かして仕事をしてください」と言われた。
 それでやっと気がついた。私は自分が犬だと思っていない犬だった。
 野良で育ったのに、愛玩犬だったのだ。〟
そんな、常に違和感を感じつつの会社員生活に別れを告げた。


だから、当然「勤労感謝の日」と聞けば、やさぐれる
〝何が勤労感謝だ。無職者にとっては単なる名無しの一日だ。
 それともこの私に、世間様に感謝しろ、とでも言うのか。〟
そして、義理で出向いた見合いの席には、最低の男が待ち受ける。
人を見るなり、にへらりと歯茎を剥き出す。
それも、〝あんパンの真ん中をグーで殴ったような〟顔だ。
その上、「僕って会社人間なんですよねえ」「もちろん、仕事が趣味です」。


こんな男と、1秒でも席を同じくするのはイヤなとこだろうが、
そんな野辺山清との見合いの光景は、小説として傍目で見ると、やたらと笑える。
〝しかし、何を聞けばいいのだ。見合いなんてしたことがない。
 ギャンブルやりませんよね、とか変態プレイは困りますよとか、
 そんなこと、大事なことだが言えないし。
 頭の中ではコイツトヤレルノカ? という声がする、うーん、極めて難易度が高い。
 しかし野辺山氏とて、考えていることは私と大差なかった。
 ただ、彼はそれを第一声で口に出してしまっただけだ。
 「スリーサイズを教えてくれますか」〟
結末はまあご想像の通りだが、
そのあまりの野辺山氏のキャラクターに、さまざまな感慨を覚える。


散々な一日を送り、水谷との会話もしんみりムード、そして向かったヤサグレ三昧。
もちろん、マスターとの会話も何だか盛り上がらないし、やっぱり悪いことは続いたりする。
だが、そのさえない一日を終えるとき、なぜか気分は落ち着いている。
そんな一日はそんな一日で、それなりに「勤労感謝の日」になっている。
ちょっと意味不明な文章になっているが、そんな感じなのだ。
ある意味では諦観でもあるし、問題は何ひとつ解決していない。
だけれども、物語は切なさを払いのけ、一種のさわやかさを残して幕を閉じる。
絲山秋子らしい、うまさとペーソスを感じさせる物語なのだ。


そんなわけで、表題作「沖で待つ」と合わせると、満足感はかなり高い。
ここ最近の「ニート」「スモールトーク」と比べると、
僕が思っている〝絲山秋子らしさ〟もかなり高いのではないかと思う。
短いこともあって、何だかもう一回読み返してみたくなる、味わい深い2編。
久しぶりに絲山秋子を満喫したな、という感じの一冊だった。

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