井上夢人「オルファクトグラム(上) (講談社文庫)」「オルファクトグラム(下) (講談社文庫)」

mike-cat2006-02-04



the TEAM」の勢いを駆って、すかさず読んでみる。
2001年版の「このミス」4位。なるほど、という感じだ。
読み始めて、あっという間にその世界に引きずり込まれた。
犬なみの嗅覚、という設定がここまで広がるとは、という感じ。
ちょっとしたSF的な、思考実験も楽しめる、上質のエンタテイメントだ。


姉の千佳子が連続殺人事件に巻き込まれた際、
殴られて一カ月間の昏睡に陥った片桐稔。
稔が再び目を覚ましたとき、世界は一変した。
現実の光景に重なる、クラゲのような粒子が飛び交う幻想的な世界。
脳の損傷の影響で、稔は匂いが目に見えるようになったのだ。
犬のような高い嗅覚を手にした稔は、千佳子殺害の犯人捜索に立ち上がる。


犬のような嗅覚、という設定だけでも十分面白いのに、
この作品にはもうひとひねりがある。何と、匂いが視覚に転換されるのだ。
さまざまな色、そしてさまざまな結晶のような形…
ありとあらゆる匂いが、色と形を伴って、目の前に映る。
それも、犬なみの精度を持って、である。
世界観が一変する事態、というのは間違いない。
極彩色の匂いの粒子が漂っている光景を想像しただけでも、かなりすごい。
何だか、手塚治虫の「火の鳥」復活編を思い出してしまった。


この〝嗅覚〟、パッと聞くと想像するだに恐ろしい。
世の中はいい匂いに溢れているわけではないのである。
ラッシュアワーの電車、繁華街の路地裏、ごみ袋…
僕自身、けっこう鼻がいい方のため、
たまに乗るラッシュアワーの電車など苦痛そのものだ。
そう、世界にはむしろ、悪臭の方が豊富に漂っているのだ。
そんな世界で、犬なみの嗅覚をしていたら…
もう、吐き気さえしてくる感じだ。ああ、気持ち悪い。


だが、幸いにして、この作品での〝嗅覚〟は実際には匂わない。
どんな悪臭でも、色と形として視覚に転換されるだけで、実際には匂わない。
だから、そういう恐ろしい事態には陥らないことになっている。


だからといって、それで人生バラ色とは当然いかない。
視覚に偏った生活を営んできた人間の、嗅覚や聴覚が退化したように、
稔の視覚も、退化をしていく。
これが犯人探しの進行と反比例するように退化していくため、
物語のスリリングさはますます増してくる、というまことにうまい趣向となっている。


恋人のマミとのナニのシーンも、匂いをキーワードに描写されていくし、
その匂いを科学的に検証していくような、実験的な試みもある。
そして、犯人との対決のクライマックスシーンでも、匂いはキーワードになっていく。
とにかく徹底的に匂いにこだわった、匂いミステリーに仕上がっているのだ。


稔がある事情で、その能力をテレビ局に売り込む際、
「ザ・チーム」に通じる場面もちょっと出てくる。
もしかして、この一文を書いたときに、「ザ・チーム」のアイデアを思いついたのかな、とか、
他作品への微妙なリンクも感じられるのもなかなか楽しい。
こうなってくると、旧作である岡嶋二人の作品も見逃せなくなってくる。
クラインの壺 (講談社文庫)」か「99%の誘拐 (講談社文庫)」か、
どちらも評判はいいようだけど、まずはどちらから読むか…
いまさらなのかもしれないが、楽しみな作家に出会ってしまったな、と、
喜びを感じながら、本を閉じたのだった。