黒川博行「封印 (文春文庫)」

mike-cat2006-02-01



黒川博行といえば、「キャッツアイころがった (創元推理文庫)」などの警察小説とともに、
「国境」「暗礁」などの「疫病神」シリーズの大阪ヤクザものが定番だが、
この「封印」は大阪ヤクザ系のノンシリーズとなる。
単行本の初版は1992年。もう早くもひと昔、という感じだ。
主人公の恋人の服装描写などはやはり、あの頃を思わせるが、
物語そのものには、古さはさほど感じられない。
まあ、舞台が大阪、それもミナミということも関係しているのだろうけど…


主人公の酒井宏樹は、網膜剥離で道を断たれた日本ライト級1位の元ボクサー。
いまは恩人の津村のもとで、パチンコの釘師として生計を立てている。
許認可をめぐるヤクザの嫌がらせが、事件の始まりだった。
取引先はおろか、警察、消防を巻き込んだ嫌がらせの数々。
社長の津村は謎の失踪、酒井自身にも、
身に覚えのない〝封筒〟をめぐって、ヤクザの手がかかる。
想いを寄せる理恵にまで脅威が迫った時、
ついに酒井は自らの拳にかけた封印を解くのだった−。


いかにも黒川博行らしい軽妙なテンポで、物語は進む。
そして、描かれるのは大阪ミナミを中心とした雑然とした街の雰囲気。
実際足を踏み入れると、その騒がしさ、汚さにあ然とすることも多い大阪だが、
この作品世界での大阪は、まるで東南アジアのようにパワフルな街に思えてくる。
出てくる人間は、裏社会に片足を突っ込んだ(両足の人物も多いが)連中ばかり。
警察だって、菊の代紋を背負ったヤクザでしかない、とんでもない世界だ。
この物語は(あくまで物語だから、だが)、そんな危険な魅力にあふれている。


主人公・酒井の人物設定がいい。
現在進行形の物語に織り込むようにして、
ボクサーとしての挫折、恩人・津村との出逢いなどが描かれるのだが、
その中で少し少し明らかになる、過去の出来事がいちいち読ませる。
そして、キャラクターは基本的にストイックだが、一度怒らせたら怖いタイプ。
ハードボイルドの基本といえば基本なのだろうが、そのバランス感覚が絶妙だ。
ここでガマンをしないと、後半の〝爆発〟にカタルシスがなくなる、
これ以上ガマンすると、読んでいて焦れるばかり、という塩梅を、うまくコントロールする。
だから、読んでいてストレスを感じることがないし、
きちんとクライマックスでは、燃える気持ちで主人公の活躍を追うことができる。
そういう意味では、やや予定調和な部分も感じられなくはない。
「国境」などの傑作には、ボリューム、パンチ力とも及ばないが、
それでもその分、軽い感じで読める作品でもある。
まとまりのあるウェルメイドなエンタテイメントとして、楽しんで読める一冊だ。


巻末の解説を書いているのは、何と酒井弘樹。
主人公? と思いきや、黒川博行の元編集者だという。
その編集者の名前をまるまる借りて描いた、ハードボイルド娯楽作。
桑原・二宮の「疫病神」シリーズのファンなら、読んで損はない一冊だろう。

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