古川日出男「ロックンロール七部作」

mike-cat2006-01-29



〝20世紀よ、死ぬな、ロールしろ。〟
20世紀の折り返し点である1951年、
それ、つまりロックンロールはひとりのDJによって命名された。
そして20世紀、ロックンロールは
アフリカ大陸、北米大陸ユーラシア大陸オーストラリア大陸
インド亜大陸南米大陸南極大陸を流転(ロール)した。
その七つの後悔を語るのは、〝あたし〟は、
2000年12月31日午後11時59分59秒に生まれた、20世紀の末っ子。
独自のルールに従って語られる、ロックの航海がいま、始まる−。


冒頭で引用されるのは、くるりの「WORLD'S END SUPERNOVA」の一節。
〝1・2・3でチルアウト 夜を越え僕ら旅に出る。
 ドゥルスタンタンスパンパン
 僕ビートマシン ライブステージは世界の何処だって〟
本を開いて驚いた。
「何で僕の大好きな歌を知ってるんだ!」


いや、単に偶然とは承知しているが、それでもシビれた。
いつだって旅に出ている、くるりの歌詞ではあるが、
やっぱりこころにグイッと突き刺さるのだ。
ましてや、それが古川日出男の本の冒頭に。
読む前にすでにシビれてしまうのもしかたない話だろう。
(と勝手に決めつけてしまうのも何だが…)
そして、本を読み終えると、さらにあの一節が、こころに深く突き刺さる。
20世紀を流転(ロール)し続けたロックの鼓動が、聞こえてくるのだ。


第1部では、
ビートルズローリング・ストーンズが、ロック生誕の地アメリカを侵略した、
「イギリスの侵攻(ブリティッシュ・インベージョン)」が、
回りまわってアフリカ大陸までたどり着く、ロックの航海が描かれる。
曇天、牛の女、噛み噛みあるいは犬歯…さまざまな登場人物の経由し、
「あなたの心臓、むしゃむしゃむしゃ」がアレンジされ、リミックスされていく。
ちなみに、ヘンな名前ばかりが並んでいるのは、
〝あたし〟が決めたルールにより、できる限り日本語に翻訳された結果だ。


第2部では、
ミシシッピ川河口のルイジアナ州のデルタからブルースが旅立つ。
〝呪いの〟ゲーター・ギターとともに流転(ロール)したブルースが、
ロックンロールを奏でるとき、その曲は、新たな担い手を見つけていく。


第3部では、
モスクワまでのユーラシア大陸横断列車の中が舞台となる。
バラバラだったバンドが、果てしない混沌からロックンロールを生み出していく。


第4部では、
ロックンロールが初めて戦争のサウンドトラックとなった、ベトナム戦争が端緒に、
ロックンロールがオーストラリア大陸を、渡り歩く。
革命的な装置とともに、ディンゴと呼ばれる男が、ロックンロールを奏でていく。


第5部では、いよいよ
「キング・オブ・ロックンロール」エルビス・プレスリーが登場する。
エルビスのステージから、一気に舞台はインドへ。
そして、世界一の映画の都(ハリウッドじゃなく)で、キングが甦る。


第6部では、
アルゼンチン・タンゴのリズムを母体に、格闘技の形を借りたロックンロールが、
アルゼンチン、ブラジルと南米大陸を駆け巡る。


そして、第7部。
無国籍の地、南極大陸で、無国籍のロックンロールが奏でられる。
国籍を持たない、小さな太陽の脳裏で繰り返される楽曲「贖罪」が…


SEPTOROGY(七部作)を名乗っているぐらいだから、
当然7部構成かと思うと、
実はおしまいに第0部があって、ある種明かしが待っている。
ただ、まるでパッチワークのようにつなぎ合わされた7つの物語が、
ここでうまく統合されるかというと、それは全然ない。まさに混沌。
たぶん、あの「ベルカ、吠えないのか?」以上に、バラバラなままだ。
だが、「ベルカ〜」では戦争の世紀として語られた20世紀を、
〝あたし〟はロックンロールの世紀だ、と言う。いや、断言する。


正直、理屈としては理解できない。
それでも、感覚としては理解できる気がする。
もしかして、物語のスケールに圧倒されているだけなのかも知れない。
だが、それでもいいような気がする。
「ベルカ〜」にも通じる、圧倒的な物語にまた出逢うことができた。
それが、ロックンロールの世紀だった、と言われればそうなのだ。
よくわからないけど、そういうことにして、本を閉じることにした。
しかし、すごい作品だったね、というのが、
率直にして愚直な感想だったりするのだが…


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