千日前国際劇場で「フライトプラン」

mike-cat2006-01-28



いわゆる主演作としては、デービッド・フィンチャー
パニック・ルーム」以来となるジョディ・フォスター最新作。
描かれるのはヒッチコック的な世界か、それとも…
予告を観た限りでは、
フォーガットン」的なトンデモ感も予想される、サスペンスだ。
客室乗務員組合から、「悪意を持って客室乗務員を描いている」と、
何と訴訟を起こされたというニュースも流れた、いわく付きの作品でもある。
期待感とともに、トンデモ映画への覚悟を胸に、スクリーンに向かう。


ちなみに、今回のレビューははっきりとネタバレとなるので、ご了承を。


ベルリンで突如自殺した夫の棺とともに、
空路NYへ向かうカイル・プラット=ジョディ・フォスター
乗り込むのは、エンジンの設計を自ら担当した世界最大の最新鋭旅客機。
娘のジュリアとともに、飛行機に乗り込むカイル。
しばしの睡眠から目を覚ますと、ジュリアの姿は消えていた。
しかし、誰もジュリアの姿を見たことがない、という。
乗客名簿にもジュリアの名前はない。
そして告げられたのは「ジュリアはもう夫とともに死んだはず」。
娘への想いがもたらした妄想だったのか。
それでも、カイルは娘を捜すため、孤独な戦いを始める−。


オチ、について言えば、はっきりいって、反則だろう。
まず、例の犯人がいくら×××××でも、
乗客名簿から、外部情報まで完全にコントロールし切れるわけがない。
それは、たとえ共犯者(あの目、すごかったな…)がいたとしても、だ。
さらに、終盤のあのオチの展開の中で、
機長たちほかのクルーがいくらアホだって、何かおかしいと気づくはずだ。
あれだけ都合よく、犯人の思い通りにことが進むのは、やはり反則だ。


たとえ、それが可能だったとしても、
娘は実在していたのに、誰ひとりとして見ていない、
という状況を作り出す、というのはやはり無理がある。
他人に対して、ひとは思っている以上に関心を抱かない、
という、社会的な視点があるのかもしれない。それ自体は悪くない視点だ。
だが、客室乗務員をはじめとして、
「誰ひとり見かけた記憶すらない」状況というのは、あまりに偶然性に頼った展開だ。
映画の序盤、カイル以外の視点からの映像では、
ことごとく娘が死角に入るなど、それなりの気遣いはなされているが、
やっぱり、ミステリー、サスペンスとしては、あり得ない仕掛けだ。


ましてや、このオチで娘をかどわかすためには、
母親の目がどこかで娘から外れる必要がある。
この映画では偶然、娘から目を離す時間が十分にあったが、
もし、席を移動して眠るようなことがなかったら、それだけで計画はおじゃんだ。
これだけ大がかりな準備をしながら、
肝腎な場面は偶然任せ、というのでは、ちょっと説得力に欠けるだろう。



だが、これもあくまで冷静に考えて観れば、の話なのだ。
この映画、流れに身を任せて観る限りは、そう悪い映画ではない。
飛行機という密室を描いた、独特の閉塞感は抜群だし、
消えた娘を捜すカイルの焦燥感、そして妄執ともいえる疾走感は、
観るものを、得も言われぬ不安に駆り立てる。
オチも、なかなかのトンデモ感を醸し出しはするが、
フォーガットン」みたいな宇宙人オチだったり、よくある夢オチとは違い、
映画そのものの緊迫感や、スピード感を損ねるものではない。
あくまでエンタテイメントとして観る限りは、致命傷ではない。


「ほお! そうだったのか」と、まあ感心する部分もけっこうある。
オチが判明した瞬間、物語にはいくつも、伏線が張ってあったことがわかる。
たとえば、航空保安官=ピーター・サースガードのあまりに情けない仕事ぶりだ。
カイルに同情的なのか、それとも優柔不断なのか…
その情けない仕事っぷりが、機内をとんでもないパニックに陥れる。
こいつ怪しいな、とは思っても、あのオチまではなかなか思いつかない。
娘の存在に懐疑的になったカイルが、
「なぜ、私を陥れる必要があるのか」について思索をめぐらせる場面で、
微妙に示唆されてはいるのだが、それでも「まさか、な」というオチでもある。


そしてたとえば、北欧系の客室乗務員=ケイト・ビーハンの目つき。
単に人種の問題でもあるのかも知れないが、
あの冷たく碧い瞳が何を物語るのか、妄執への冷たい視線だけではない。
感情を殺した目つきは、カイルのためではなく、自らのためだったのだ。


ミステリー、サスペンスとしては反則でも、
映画としては、単純に面白い、といっていい。
ジョディ・フォスターの配役も、なるほど、この役はジョディじゃないと、説得力がない。
あの血走った目で、まるでキ×ガ×そのもののように機内を駆け回る姿を、
そこまで痛々しく見えなくするには、やはりジョディのオーラが不可欠だ。
「愛についてのキンゼイ・リポート」などで独特の存在感を示すサースガード、
スタンドアップ」での好演が記憶に新しいショーン・ビーンなど、
脇を固める俳優たちも、なかなかいい雰囲気で、ジョディの焦燥を煽る。
〝ジョディのための映画〟的雰囲気も強いが、それはそれで悪くない。
まあ、「最初から目を離すなよ」と、突っ込みを入れたくなるのも確かだが…


ただ、この映画には、もうひとつの可能性もあるように思える。
最後のオチは用意せず、
〝ジョディが本当に妄想を抱いている〟というプロットでそのまま作る。
妄執に駆られた母親の行動が、飛行機をパニックに陥れ、そして最後は…
パニック・スリラーとして、けっこう面白いんじゃないだろうか。
パニックに陥れている本人の、一人称的な視点というのもなかなか不気味だし、
ある意味では、犯人がいるよりも恐ろしい事件ではないかな、と。
ジョディなら、飛行機の1機や2機、血祭りに上げるのも簡単だろうし…。


いろいろオチには問題があったけど、こうして考えると、
観ている最中も単純に〝楽しめ〟、終わった後もまた違った意味で〝楽しめる〟、
一粒で二度美味しい(これも古いフレーズだな…)映画だった気がする。
ところで、客室乗務員組合の訴訟、どうなったんだろな…、などと、
余分なことまで考えつつ、劇場を後にしたのだった。