朝倉かすみ「肝、焼ける」

mike-cat2006-01-06



〝31歳になった。遠距離恋愛中の彼は何も言ってくれない。
 30代女性の「じれったい気持ち」を軽妙に、鮮烈に描く〜〟
小説現代新人賞受賞作、だそうだが、
惹かれたのは、選考委員の山田詠美のひとくち評だ。
〝文句なし。この作者は、ある種の男性から敬遠され、
 ある種の女性から熱烈に愛される小説を書いていく人だと思う。〟
いったいどんな小説なのか、読んでみたくなるのが人情というものだ。


表題作にして受賞作の「肝、焼ける」を含む短編5作だ。
いずれも北海道の田舎町を舞台にした、胸に染み入る作品ばかり。
かといって、過剰な郷土愛、地域愛に満ちたものではない。
愛着もあり、あきらめもあり、の様々な感情のこもった〝田舎〟描写が、
切なくも心地よい、独特の情緒を醸し出している。



「肝、焼ける」は、引用したオビのお話。
31歳になった〝わたし〟が、稚内に転勤になった御堂くんを追っていく。
次第に音沙汰がなくなる歳下、24歳のオトコのもとを、事前の連絡なしに突然訪れる。
そんな〝わたし〟の空振りと寄り道が、のどかさと切なさを匂わせながら、描かれる。


情景描写が巧みというか、とても味わい深い。
ふと思いついて寄ってみた、バス停近くの銭湯。
後ろから来た地元のおばさんに突き飛ばされ、あ然としながら番台に声をかける。
〝「あの」
 番台に声をかけた。じいさんがひたいの皺を波にしてこちらを見る。
 「おいくらですか」
 三百何十円の返答が体言止めできた。このじいさんは余計をいわないたちのようだ。〟
この後、ローカル感たっぷりの情景が描写されるのだが、
湯船の中のおばさん、おばあさんの部分は、かなりきわどいので割愛する。


どうにもじれったいばかりの御堂くんの様子であったり、
田舎の寿司屋でやたらと通ぶる東京のサラリーマンの描写であったり、
ようやく見つけた一夜の宿のショボい光景であったり…
どれもこれもが、ある種独特のリアルさと、
浮遊感たっぷりの非現実感を携え、胸にグッと迫ってくる一編だ。
切なさたっぷりのラストにも、思わず胸をギュッと締めつけられる。
新人作家どうこうは関係なく、傑作といいたい一編だ。


コマドリさんのこと」も、どこか不思議な息苦しさを感じさせながら、胸に迫ってくる一編だ。
まじめに、普通にをモットーに生きてきたコマドリさんの苦悩が描かれる。
それは、まじめに、普通に、生きてきたはずなのに、
四十を目の前にしたコマドリさんはいまだ処女、望んでいた結婚は遠のいていくばかり。
他人から無責任に押しつけられた〝まじめ〟〝普通〟がもたらしたコマドリさんの境遇。
コマドリさんは〝間違ったことはしていない〟のに、何とも痛く、何とも切ない。
でも、そんなコマドリさんだが、その視点だけは冷静そのものだ。
「どうして? なぜ?」理不尽さを問いかけるコマドリさんが、
切なさにある種のペーソスを加える。
だから、痛くて切ないだけでは終わらない、味わい深い小説に仕上がっているのだ。


こちらも、その情景描写は、素晴らしいのひと言に尽きる。
小さな町の小さな事務所に勤めるコマドリさんの24歳の後輩、シゲコちゃんには、
周囲からの容赦のない、整形説とふしだら説の噂が飛び交ったりするし、
ヤンキーにもてていた高校時代の友人アスカちゃんが、オトコを寄せつけるその様子、
そしてヤンキーたちの容赦のない視線は、きわどくもユーモラスだ。
コマドリさんのお見合い遍歴なんかも紹介されるのだが、
ここで交わされる「がっかり」「このくらい」の表情の描写は、
思わず乾いた笑いが起こってしまうくらい、
切実にしてペーソスあふれるものになっている。
そんなコマドリさんのこれまで、そしてこれからが気になってならないのだ。


ほかにも、大学時代の女友達との傷心旅行を描いた「一入(ひとしお)」、
事務所のお局と若いコの間に挟まれた〝わたし〟の苦悩を描く「一番下の妹」、
結婚前の揺れるこころを描いた(かといってマリッジブルーと違う)「春季カタル」と、
どれも強烈な印象を残す作品ばかりだ。
これから要チェックの作家さんが、また現れたな、と強く思わせる一冊だった。


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