山本幸久「笑う招き猫」

mike-cat2006-01-05



はなうた日和」「凸凹デイズ」に「幸福ロケット」と、
最近すっかりお気に入りの山本幸久のデビュー作にして、小説すばる新人賞受賞作。
いまの〝お笑いブーム〟にあまりノレないこともあって
(一部はもちろん好きだが…)、いわゆる積ん読のままにしておいた一冊だ。
もうそろそろ潮時でもあるので、ってことでもないのだが、
ようやく積ん読の最優先リストが片付いたので読んでみることにした。


女性二人組の若手漫才師、「アカコとヒトミ」を描いた青春ストーリーだ。
招き猫の行商(!)をきっかけに出会った、
身長150センチ・体重60キロの豆タンクながら、バレエに日舞もこなすアカコと、
身長180センチとモデル並みのスタイルを誇りながら、運動神経まるでなしのヒトミ。
物語の始まりは渋谷の小劇場での初舞台。
滑りっぱなしだった二人がその後にたどる、迷走と成長、そしてセイシュンを描く。


一般に、女性漫才師(お笑い)、というのは、難しい存在だ。
男性に比べて容姿に関し必要以上に評価される、
というフェミニスト的な視点からは、まことに許されない視線は、
ことお笑い芸人においては、ある意味アイドル以上に厳しく浴びせかけられる。
あんまり美人でも痛いし、あんまり不細工(失礼)でもこれまた痛い。
愛敬があって、見苦しくなくて、それでも美人ではいけないのだ。
見慣れてくればもちろん、それも問題ないのだろうが、
見慣れない若手芸人なんかの場合、どうしても女性のお笑いは、どこか痛い。


しかし、そんな痛くなりがちな主人公たちを、
山本幸久は、美しすぎず、みっともなさ過ぎず、いい塩梅で温かく、描き出す。
〝お笑い芸人〟を名乗りながら、
芸も出来ずにバラエティであざ笑われるだけのテレビタレントとは一線を画し、
あくまで舞台での漫才にこだわる二人の姿勢も、とても好感が持てる。
かといって、切っても切り離せないテレビとお笑いの現実も織り込み、
単なるご都合主義のサクセスストーリーに終わらせない。
そして、若さとパワーだけでは乗り越えられない壁にぶつかる二人の姿は、
まさに王道の青春物語でもある。


そんなある意味、普遍的な物語に彩りを添えるのは、個性豊かな登場人物たちだ。
アカコとヒトミはもちろん、アカコの祖母の頼子さん、妻に逃げられたダメ芸人の乙さん、
笑いに厳しいマネジャーの永吉、おかしなメイクアップ・アーティスト白縫さん…
250ページ弱の小説にはもったいないほどの味のある人物たちが、代わるがわる登場する。
中でももと銀座のナンバー1ホステスだったという、頼子さんが秀逸だ。
80歳間近にして、シャンとした美しさを保つ頼子さんの強烈なキャラクターだけで、
中編くらいなら一本書けそうな勢いまで感じてしまう。


そして何よりも素晴らしいのは、山本幸久らしい細かい記述の数々だ。
漫才のネタ作りを担当するヒトミは、「鉛筆主義」のヒトだ。
〝がりがりと書き進んでいくこの面白さ。
 自分の手から文字が生まれていくこの快感。
 パタパタとキーを打って、文字を機械に作らせてしまう人々は、
 この快楽がわからないのだろうか。ああ、お気の毒様。〟
僕は実際、その〝お気の毒様〟派の最たるもので、
ペンや鉛筆では、書くスピードが圧倒的に遅くなるタイプだ。
僕にとって、書くという作業は、
思考をそのままキーボードにたたき出し、その中で整理していくものだ。
だから、こうした記述を見たりすると、思わずふむふむと感心してしまう。


各作品で一貫して東急世田谷線にこだわる作者ならでは、の記述もいい。
アカコとヒトミが得意とする、即興の歌の一節だ。
世田谷線はね
 ほんとは新幹線になりたいの
 どこか遠くへ行きたいの
 東北東海北陸山陽
 そういうところも走ってみたいの
 富士山も見てみたいの
 でも今日もシモタカサンチャ
 行ったり来たり♪
この後も〝せめて山手線になりたいの〟とか〝遠くも都心も走れないの〟とかあるのだが、
まるでくるりの「赤い電車」を思わせる、
どこかノスタルジックでユーモラス、でも、どこか切なく響く歌詞なのだ。
実際どんな曲で歌うのかはわからないが、
歌に込められた想い、みたいなのがよく伝わってくる一節だったりする。


このほかにも、思わずほろりときたり、ニヤリとしたりする場面はめじろ押しだ。
ちょっと詰め込みすぎて、多少散漫な印象も受けるが、
それでも思わず読みふけってしまう、魅力にあふれた小説でもある。
いまごろデビュー作を読んでおいて、さすが、というのもヘンだが、
やっぱり山本幸久は注目すべき作家だな、と実感させられたのだった。