スラヴォミール・ラウイッツ「脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち」
「このミステリーがすごい!」「本の雑誌」など、ベスト10が出そろい始めた。
で、読みたい本はもともと山ほどたくさんあるのに、
それが倍増、3倍増とさらに苦しくなってくるのがこの季節なワケだが、
何号か前の「本の雑誌」で見て以来、気になっていた本がまた一押しされていた。
それがこの「脱出記」だったりする。
書店店頭で見かけることも多かったのだが、なぜか買うことなく、
今回ようやく購入、さっそく読んでみることにした。
旧ソ連政権に捕らえられ、不当な裁判で強制労働25年の判決を受けた、
ポーランド人の著者が、シベリアの収容所から脱出し、
極寒のシベリアの雪原に、酷暑と乾燥のゴビ砂漠、
そしてチベット高原を越えてインドまで歩き通した、文字通り、凄絶な脱出の記録だ。
本ではまず、ポーランド人の歴史が語られる。
ドイツやロシアという大国に挟まれ、国土を民族の誇りを蹂躙されてきた、苦難の歴史だ。
そして、「身の毛もよだつ尋問と拷問」から始まる本編の序盤は、
すべて旧ソ連という組織の、ナチスに勝るとも劣らない異常な手口が紹介される。
陰湿さ、という意味では、殺人すら効率第一というドイツ人よりはるかに上だ。
拘置所で渡されるズボンは、ボタンはおろか、ひもすらないシロモノだという。
つまり、手で抑えていないとずり落ちる。
ズボンを落とすまいと気にかければ、脱走の意欲もなくなる、ということらしい。
つくづく、イヤな連中である。こんなことにばかり知恵が働いて…
そして、罪状を認めない容疑者に対しては、徹底的な拷問を繰り返す。
一例が、消化管、腸を意味する「キシュカ」といわれる筒状の牢獄だ。
ただ立っているだけで何もできない、その牢獄では、排泄物も垂れ流し。
筒の中に、排泄物を溜め込みながら、ただ立ち尽くすという屈辱を味わう。
そして、そこから出してみては、拷問による尋問を繰り返すのだ。
おかしいのは、インチキな尋問、インチキな裁判で、
結局はインチキな証拠をでっち上げてしまうのに、
ロシア人たちはなぜか不思議なほどに自白にこだわるのだ。
自白などなくても、どうにでもできるくらいのことをし続けながら、自白を求める。
その異常性は、判決が出て、収容所に入れられても、基本的には続くのだ。
25年という気の遠くなるような刑期もさることながら、
最果ての地、シベリアでこんなロシア人たちにいたぶられ続けるなら、
極寒のシベリアの雪原に踏み出すのも、悪い選択ではない、と思うだろう。
だが、その選択も、もうひとつの地獄であるのも、明白な事実だ。
裁判の地から、シベリアまでの地獄のような旅路を繰り返し、
極寒を逃れても、次に待っているのは、果てしのない砂漠。
飢えと渇きに苦しみ抜いた毎日は、文章で読むだけでも血の気もよだつ体験だ。
そして、チベットで再び寒さや絶壁との戦いに挑む。
しかし、著者たちの一行は、弱り切った体で犠牲者を出しながらも、その過酷な道を歩き切る。
思わぬ仲間が一行に加わってみたり、モンゴルやチベットの親切な人々に助けられたり、
どこまで本当なの?と思うくらい、映画顔負けの劇的なドラマが、展開されている。
シベリアからの脱走といえば「9000マイルの約束」という映画があったが、
たぶん映画化したら、こちらの方がはるかに壮絶でドラマチックな作品になるだろう。
過酷という意味なら、初のオーストラリア大陸縦断を記したノンフィクション、
アラン・ムーアヘッドの「恐るべき空白 (ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース)」もすごかったが、
こちらはミスによる自業自得というか、勝手に泥沼に陥っていた部分も多い。
実際はどちらが上かはわからないが、やはり「脱出記」の凄惨さは印象度で上回る。
まあ、そんな過酷さ、凄惨さだけがこの本の味わいではない。
著者たちの、生き残る、という強い意志や、
ボロボロの旅人たちを温かくもてなすモンゴル人やチベット人たちの温かい心など、
やはり人間性に関わる部分での感動が、胸を打つ。
前半でロシア人の狡猾さ、残虐性にへどが出るような思いをしているだけに、
そのドラマはなおさら、こころに響いてくるのだ。
結末は、著者がこうして生き残って、本を残している以上、あらかじめわかっている。
それでも、インドまで歩き通した部分を読み終えると、大きな安堵感に包まれる。
率直に「よかった。生き抜いてくれて…」と。そして、深い感動を胸に本を閉じる。
なるほど、ランキング至上主義じゃないが、さすが「本の雑誌」お勧めの一冊だった。