戸井昌造「戦争案内 (平凡社ライブラリー)」

mike-cat2005-11-27



これまた旅行前から気になっていた一冊。
〝わたしは自分の歳を言うとき、戸籍上の年齢から三つ引くことにしている。
 三年間はロスだったからだ。しかも二十歳から二十三歳までの、華の三年間だ。〟
こう語る、著者がその3年間何をしていたか、というと、
もちろん、徴兵で戦争に行っていたのだ。
〝この恨みは書きとめておかねばならぬ、そうでないとロスは永遠のロスになってしまう〟
その想いを胸に、その3年間を記録として記した、ひとりの青年(当時)の戦争体験だ。


記された戦争体験は、凄惨ではあるが、
たぶん「もっと凄惨な体験をした」というヒトは多いだろう。
何せ、著者は将校見習いという、ある種特権的な立場にあったし、
かといって消耗品として、先頭切って突撃していくような戦闘には巻き込まれなかった。


だが、その立場だったからこそ見えてくる、
当時の日本軍閥のいいかげんさであったり、軍隊の矛盾、陰湿さなどが、とても印象的だ。
南京虫が発生したら呼集をかけ、精神力とかで克服しようとさせる日本軍。
戦後、DDT(殺虫用の白い粉)をかけられて
「こういう薬をもってるんじゃ負けるに決まってる」と思った、
という著者の心情が、哀しいぐらいにリアルに伝わってくる。


反戦活動が生命にも関わるリスクを背負っていた時代、
積極的厭戦という立場を取っていたという著者の視点は冷静だ。
軍事教練から、軍隊言葉、無意味なシステム、無謀な作戦、何より無謀な戦争。
バカバカしいと思いつつも、いつの間にか神経が摩耗され、
「死んでもいいや」的な思考経路に落ち込んでいく様は、
〝過ぎ去った時代のこと〟と看過できない恐ろしさを伝えてくる。


そう、本の最後にもあるが、この〝戦争体験〟、決して他人事ではないのだ。
戦争体験者が「時代が悪かった」と悪びれない態度を取ることがよくあるが、
じゃあ、そんな時代に誰がしたか、といえば、その人たちも何がしかの責任はあるのだ。
そんな時代になったとしても、
ひとりでも多くのヒトが「ノー」といえば、
少なくとも戦場で死ぬよりはだいぶましな犠牲たり得たはずなのだ。


もちろん、あの戦争は僕がこうやって簡単にさばけるほど、単純なものでないことは承知だ。
しかし、この本の中にも、バカバカしい戦争を繰り返さないための教訓は詰まっている。
流されない、納得できないことには「ノー」という。
基本的に政治家、行政のいうことは信じない。天下国家を語る輩には、注意する。
だが、そんな簡単なことができない時代があったのだ。
そして、それはまた来るかも知れない。
この本を読んで、あらためて空恐ろしさを感じるとともに、
その時がもし来てしまったらどうするべきか、しばし考えてみたりもするのだった。