なんば千日前・敷島シネポップで「ダーク・ウォーター」

mike-cat2005-11-29



ひとがほんの2週間あけている間に、やたらと新作が公開された上、
こんどはその〝新作〟が早くも公開終了間近になってる。
それこそ楽しみにしてた「インサイドディープスロート」は終わってしまうし、
なぜか「エリザベスタウン」「ダーク・ウォーター」まで今週限りだとか。
歯ぎしりしたくなる状況が続く中、
まず選んだのはジェニファー・コネリー目当てでこの作品になった。


あの鈴木光司原作、中田秀夫監督、黒木瞳主演で話題を呼んだ
仄暗い水の底から」のハリウッド版リメイクだ。
とかいって、実は観てない。
いや、何かあの予告観てたら、気持ち悪くって…
まあ、ハリウッド版なら、そこまでおどろおどろしくないかな、と。
それに監督が「モーターサイクル・ダイアリーズ」のウォルター・サレス、
主演が「レクイエム・フォー・ドリーム」「ビューティフル・マインド」のジェニファー・コネリー
ほかにもジョン・C・ライリー、ティム・ロスピート・ポスルスウェイトとくせ者揃い。
おまけに音楽はデーヴィッド・リンチ映画でお馴染みアンジェロ・バタラメンディ…
これだけ好条件が揃っていたら、観ない方がおかしい、という感じだ。


CMではクリスタル・ケイの〝日本版主題歌〟がかなり邪魔くさいが、まあそれは無視。
まずはサレスの描く、「仄暗い水の底」の世界に注目する。
舞台はNY、マンハッタン島からトラムで渡るルーズベルト・アイランドの古いアパート。
離婚調停中のダリア=ジェニファー・コネリーとその娘セシリアがここに越してくる。
不気味な雰囲気を漂わせるアパートの天井にはこれまた不気味な黒い染み。
黒い水が滴り落ちるようになってきた時、悪夢は始まる−。


このルーズベルトアイランドの息が詰まるような閉塞感、
じとーっと不気味に湿った空気、わずかにさし込む暗く、澱んだ光…
ハリウッドが量産するティーンホラーとはもちろん違うし、
日本版のどろどろした恨めしや〜的な映画ともひと味違う。
ある種ヨーロッパホラー(といってもサレスはブラジル人だが…)っぽい雰囲気だ。
撮影は「オール・アバウト・マイ・マザー」「ゴーストワールド」のアルフォンソ・ビアト。
最大の恐怖を呼び起こす〝黒い水〟をものすごく効果的に撮られている。
さらに、世界をねじ曲げるようなバタラメンディの音楽。
もう、何も起こらなくてもどこか薄気味悪いムードが、スクリーンから漂う。


黒い水が引き起こす恐怖そのものだけではない。
離婚調停中の夫がもたらす心理的圧迫、ダリアの幼年時代の忌まわしい記憶が、
これまた観るものに、独特の閉塞感のような圧迫感を加える。
ストーリーのテンポもまずまずで、グイグイと恐怖の世界に引き込む、
強烈な負のパワーを放つ作品に仕上がっていると思う。


もちろん、不満がないわけではない。
ライリー演じる不動産屋はともかく、
(というか、ふつうライリーから部屋借りないよ。どう考えても怪しい)
ポスルスウェイトの演じる怪しい管理人、ロス演じるプレッツァー弁護士など
何となく書き込み不足というか、もう少しなんか絡んでこないの、という感じ。
伏線を張ったのに編集でカットされたのかもしれないけど、
せっかくの豪華キャストが、いまひとつ活かされていないような感覚は否めない。


あとは、かなりネタバレになるが、ラストのダリアと〝ナターシャ〟の絡み。
ここがもう少し情感たっぷりに描かれていたら、というのも率直な感想。
そこらへんは日本人的な感性と、ブラジル人の感性の違いかも知れないし、
アメリカ人の映画製作会社のお偉いさんの感性との違いかも知れない。
もうちょっと、ナターシャへの愛を前面に押し出してあげてもよかったような気はする。


だが、そんな少々の瑕疵をあげつらうのはムダだ、というのが結論。
ここまで書いておいて何だが、この映画のポイントはまったく別のトコにある。
この映画、最大の見どころはジェニファー・コネリーの泣き顔だ。
いや、サディスティックな感情からいっているのではない。
ジェニファー・コネリーの顔って、端正すぎるというか、きれいすぎるというか、
ある意味正しすぎるため、笑ったり、明るい顔ではかえって味がない。
泣かされたり、目を潤ませたり、ラリって放心状態の顔こそ、本当に美しい。
個人的には稀代の泣き顔女優、と思っているのだが、
そのジェニファーの泣き顔が、〝満喫〟できるのが、この作品なのだ。


何せとにかく虐められる。
調停中のダンナに心理的にじりじりやられ、
不親切な不動産屋、管理人はろくにアパートの修繕もしてくれない。
学校に行けば、娘は空想の友達と遊んでるから、
もうダリアはそこら中から、親の責任を問われるような視線を送られる。
もともとがアル中の母親に捨てられた、という苦い過去を持つダリアは、
「母親になる資格がないのでは…」という不安を抱えているのだから、もういけない。
周囲の不理解も手伝って、徹底的に追い込まれるのだ。


そのコネリーの不安そうに怯え、そして常に潤んだ瞳。
クラス一の人気者の美少女が、思わず涙をもらした瞬間を見たような、
ばつが悪いけど、どこかグッと引き込まれるような美しさ、なのである。
もちろん、冷静に考えると、疲れたシングルマザーがいたぶられているのだから、
こんな許せない状況はないし、気分の悪い話はない。
だが、コネリーの濡れた瞳が、それを哀切のホラーへと昇華してしまうのだ。


というわけで、サレスの演出で怖く、
そしてコネリーの演技で哀しく、切なく彩られた物語は、
哀しみの連鎖を断ち切る形で、ある種の大団円を迎える。
しかし、ダリアの抱えた哀しみを考えると、やっぱりとてつもなく切ない。
たいていホラーというヤツは、最後にニヤリとさせて終わるものも多いが、
この作品の余韻は、かなり独特と言っていい。


個人的には、とても面白い映画だったと思う。
年末年始に向けた大作が控えているとはいえ、
3週間で終了させるには、かなり惜しい作品なんじゃないだろうか。
そう考えると、最初に触れたクリスタル・ケイの〝日本版主題歌〟というのも問題だ。
あれ聞いて、この映画の魅力が伝わってくるかというと、全然ダメだ。
歌自体の評価をどうこういうつもりもないが、やっぱり問題は、
ヘタなプロモーション戦略だったんじゃないのかな、と思うのだった。